2024-01-01から1年間の記事一覧
横浜大さん橋近くの開港広場公園に、球状の「日米和親条約調印の碑」があります。 幕末にアメリカからペリーが来航し、鎖国を終わらせたのが1854(嘉永7)年。 その後、日本は激動の時代に突入し、明治維新を迎えることになりました。 広場の奥には、白…
横浜の旧居留地を歩いてみようと、「馬車道駅」に来ました。 馬車道は、開港後に外国人たちが馬車で往来した、港から続く開港場内の道です。 当時、外国人たちは居住範囲を制限されましたが、居留地を含む開港場エリアが関内と呼ばれていたようです。 駅前を…
JR御茶ノ水駅を降りると、すぐに行き当たる強烈な存在感の教会堂。 日本では珍しい、ビザンチン様式の「ニコライ堂」です。 こちらは、古くに西のカトリック教会と分かれた、東方正教会の聖堂。 ギリシアやスラブ圏などを経て伝わっているので、エキゾチッ…
時には首都圏の近代建築を眺めてみようと思い、東京駅に来てみました。 八重洲地下街を抜けて地上に出ると、中央分離帯にヤン・ヨーステン記念碑。 関ケ原の戦いの年に、リーフデ号で漂着し、徳川家康に取り立てられたオランダ人「やようす」さん。 この地が…
今回のスタート地点は、京阪電鉄の龍谷大前深草駅東口。 以前は、「深草駅」でしたが、5年前から近くの大学名を冠しています。 駅前には、鴨川運河とも呼ばれる琵琶湖疎水。 上流を眺めると、二つ向こうの橋が、朱い色をしています。 あれは、伏見稲荷大社…
京都府宇治市にある京阪宇治駅に来ました。 駅構内は、たくさんの円形が重なり合う楽しいデザイン。 南海特急「ラピート」をデザインした若林広幸による設計で、1996年に竣工しています。 外観にも、5つの切妻屋根の下に、連続するサークル。 駅横にも…
大阪市阿倍野区にある、JR阪和線の「美章園」駅。 華やかな名前の駅には、 大戦末期の空襲により駅で亡くなった多くの犠牲者を弔う、「遭難供養之碑」があります。 (Wikipedia「美章園駅」より) 被災直後の写真では、すでに阪和線のこの区間が高架になっ…
京都市下京区にある、広い堀川通に面した西本願寺。 浄土真宗本願寺派の本山である、大きな寺院です。 門前には、底にまで石が組まれた堀があり、いくつもの石橋が架かります。 北端から見ていくと、まずは太鼓楼。 立派な太鼓楼ですが、幕末には新選組が2…
京都駅のすぐ北にある、烏丸七条の交差点に来ました。 東西に走るのは、七条通。 京言葉では、「しちじょう」と言わず、「ひちじょう」もしくは「ひっちょう」と発音します。 この通りには、1877(明治10)年に開業した京都駅の駅前でもあるため、レト…
京都市下京区にある、大宮花屋町の交差点。 大宮通の左手に続くのは、西本願寺です。 交差する花屋町通を西に入ると、 すぐに左手に細い路地。 この奥では、元新選組隊士で箱館戦争をも生き延びた島田魁が、維新後に西本願寺の夜間警備をしながら暮らしてい…
琵琶湖の東岸にある、滋賀県彦根市へ来ました。 街の中心には、国宝の天守を戴く井伊家の彦根城。 全国で国宝に指定されてされている、5つの天守の一つです。 大手門に続く京橋。 その前には、江戸時代の建築を再現したお店が並ぶ、夢京橋キャッスルロード…
京都市を南北に流れる、平安京造営時に開削された運河であった堀川。 平安時代には、都への物資搬入や、庭園への水の引込などに用いられていたようです。 今回は、有数の古い人工河川である堀川の、現在の姿を辿ろうと思います。 堀川紫明の交差点からスター…
今回は、京都の町を南北に貫く通りの一つ、大宮通を北から歩いてみようと思います。 北山大宮の交差点。 ここから南に向けて、新大宮通沿いの「新大宮商店街」が始まります。 角には、古い木造家屋を活用した「サーカスコーヒー」。 この辺りは、昭和の建物…
京都市伏見区の東部にある、京都市営地下鉄「石田」駅前に来ました。 駅名やこの付近の地名は「いしだ」ですが、 すぐ南東にある、こちらは「いわたの杜」と呼ばれ、万葉集の歌枕にも使われている古い杜らしい。 歴史的には、「いしだ」ではなく「いわた」だ…
今回は、ちょっと涼しい街歩きをしようと、大阪の梅田に来ました。 空調の効いた地下街で、壁や床面に潜む化石を探してみようという趣向です。 「化石」と聞くと、なぜか心がワクワクしてしまうのは、自分だけでしょうか。 実際の化石発掘は何度か経験しまし…
京都市の山科区小野を通る名神高速道路脇に、「日本で最初の高速道路 名神起工の地と旧東海道線山科駅跡」があります。 この地で日本初の高速道路建設が始められたのは、1958(昭和33)年のこと。 旧東海道線の廃線跡が活用できるため、旧山科駅跡から…
京都市山科区には、遠く戦国の時代に、要塞化された山科本願寺がありました。 前回はその寺内町のうち、城で言うと本丸にあたる「御本寺」エリアで、当時の痕跡をたどりました。 norajirushi.hatenablog.com 今回は、その周囲にあった「内寺内(うちじない)…
京都市山科区には、戦国時代に「城」とよばれた山科本願寺がありました。 今回は、公家の日記にも「荘厳ただ仏国のごとし」と記録されながら、焼き討ちにより一夜にして消滅した寺内町の跡を歩きます。 渋谷西野道のT字路に、古い道標が立っています。 「右…
大阪メトロ中央線の阿波座駅から少し西へ歩くと、木津川の手前に「舊大阪府廳」の石柱が立っています。 ここは、1874(明治7)年に2代目大阪府庁舎がおかれた江之子島。 当時の庁舎は、中央にドームのある壮麗な洋風建築で、「江之子島政府」と呼ばれ…
古代より渡来人との関りが深い、大阪市生野区へ来ました。 降りた駅は、JR大阪環状線の「桃谷」。 今日の目的地である「鶴橋」の、1つ南の駅になります。 桃谷駅前からは、東へアーケード商店街が続いています。 右手には串カツ屋さん、左手にはたこ焼き…
前回は、京都府宇治市の黄檗周辺にある、旧陸軍の火薬庫や火薬製造所跡を訪ねました。 今回は、北隣の木幡周辺を歩いてみます。 JR木幡駅です。 駅周辺には、宇治陵と呼ばれる、平安期に栄華を極めた藤原北家の陵墓が点在しています。 写真は、その総遥拝…
京都府宇治市の「黄檗(おうばく)」に来ました。 宇治では、京都と滋賀の府県境で旧東海道から分岐した奈良街道が、市域を南北に貫いています。 手前の奈良街道沿いの十字路に、上部に仏像を彫りんこんだ仏道標。 隣には、大正9年に設置された「宇治村道路…
前回から、大阪市西区の九条に来ています。 大阪メトロの九条駅から、戦前には「西の心斎橋」と呼ばれた九条商店街を、西に抜けてきました。 ところで、大阪には三条や四条がないのに、どうして「九条」という町があるのでしょうか。 諸説ありますが、大川(…
大阪市西区に、九条という町があります。 地下鉄なのに地上高くを走る大阪メトロ中央線で、「九条駅」に来ました。 駅の東西どちらにも商店街のアーケードが見えますが、まずは東側から。 「ナインモール九条」のアーケード西口があります。 メタリックで、…
左京区の岡崎は、今の京都で観光地として賑わっている場所のひとつです。 しかし、東京遷都後の明治初期には、「狐狸の棲処(こりのすみか)」と呼ばれるほどに、田畑ばかりが広がる地域でした。 南禅寺の中を通る、美しい煉瓦造の水路閣。 京都を近代化する…
あいにくの天候ですが、JR大阪駅前に来ました。 万博会場シャトルバスターミナルの建設が、始まっているようです。 広い曽根崎通と四ツ橋筋が交差する「桜橋」交差点。 曽根崎通の南側は、江戸時代には全国から米が運び込まれ、諸藩の蔵屋敷が建ち並んだ「…
阪急神戸線の神崎川駅に、初めてふらりと来てみました。 大阪梅田駅から3つ目の小さな駅です。 土地勘はありませんが、すぐに「三津屋商店街」のアーケードに出会いました。 アーケードは、駅の西口から南方向へと続いているようです。 左手には、赤い装飾…
ちょっと古い話ですが、応仁の乱により衰退した京都の町は、政治都市・上京と、商工業都市・下京の二つの町に分かれてしまったことがあります。 その時代に、上京と下京を繋いだ唯一の道が、室町通でした。 京都駅や京都タワーの北側にある東本願寺。 門前に…
前回訪問したばかりですが、また大阪市中央区にある空堀商店街に来てしまいました。 大阪大空襲で焼け野原となった大阪の中心部で、奇跡的に焼け残った空堀通にある、戦後すぐからの商店街です。 ここは上町台地の北西のへりですから、もともと大きな段差が…
大阪の町は平地のように思えますが、その真ん中には、北の大阪城から南の住吉大社に至る南北9km、東西2kmの上町台地が伸びています。 今回は、地下鉄の四天王寺前夕陽ヶ丘駅から、上町台地の北西のへりを歩いてみます。 駅西側にある真光院の門前には…