訪れるのは、昨年の夏以来です。
阪急大山崎駅のすぐ北側を通る西国街道から、天王山に向かいます。
古い民家の間を抜け、天王山に向かう小路。
角に、「銭原山寶寺」の石柱があります。
「宝寺」は通称で、正式には宝積寺(ほうしゃくじ)。
この石柱では山号が「銭原山」となっていますが、現在は「天王山」を名乗っているようです。
小路を抜け、JR京都線の広い踏切を渡ります。
正面の山が、天王山。
踏切を越えると、天王山登り口。
宝寺は、天王山の中腹にあります。
道の向かい角には、山崎聖天への道標。
その左には、「大黒天 小槌宮 寶寺」の標柱。
大黒天を祀る「小槌宮」には、打出と小槌が収められているそうです。
「打出の小槌」ではなく、「打出」と「小槌」なんですね。
さざんかが咲き誇る、冬の坂道を登ります。
分岐点で、左に行けば宝寺。
その前に、道を右にとり、お隣のアサヒグループ大山崎山荘美術館にちょっと寄り道。
山荘美術館のゲートは、岩盤を穿った趣のある琅玕洞(ろうかんどう)。
内側の扁額には、「天王山悠遊」。
角の部分にはスクラッチレンガ、その他の部分には味わいのある焼過レンガが用いられています。
琅玕洞の手前に、何やら句碑があります。
苔むした岩の横に建つ、文豪・夏目漱石の句碑。
山荘を自ら設計して建てた実業家・加賀正太郎の招きに応じて、漱石は1915(大正4)年に訪問しています。
「宝寺の隣に住んで櫻哉 漱石」
漱石は、隣の宝寺をも訪れて楽しんだようです。
開放的な間口の広い門から入ります。
門を入ると、いきなり左手の木々の向こうに、三重塔。
本当に宝寺は、大山崎山荘のお隣なんですね。
イギリスのチューダー・ゴシック様式に、特徴的に木骨を外側に見せるハーフティンバー様式を取り入れた本館。
加賀正太郎は、テムズ川を見下ろすイギリスのウィンザー城を訪問した記憶から、木津川・宇治川・桂川の三川の合流地点が見えるこの地に、山荘を建てたようです。
本館南面。
睡蓮の池に面して、採光を意識したガラス張りの回廊。
さすがに冬には、モネの絵のような睡蓮の葉は枯れていました。
奥には、安藤忠雄設計の新館・山手館「夢の箱」。
一番奥には、白い「栖霞楼」とよばれる物見塔も見えます。
こちらは、1915(大正4)年竣工ですから、漱石訪問の年に建てられたようです。
本館玄関より入ります。
今日のお目当ては、『レオナール・フジタ 藤田嗣治 心の旅路をたどるー手紙と手しごとを手がかりに』の展示。
藤田嗣治は、第1次大戦後のパリで、自由奔放な画壇エコール・ド・パリの寵児として活躍していましたが、第2次大戦勃発を受けて日本に戻っています。
しかし、日本では、陸軍美術協会理事長に祭り上げられて戦争画の制作に取り組んだことにより、敗戦後に戦争協力者として批判されてしまいます。
日本画壇に不信感を募らせてフランスに戻った藤田は、国籍をフランスに変え、カトリックに改宗してレオナール・フジタと名前も変え、遺作として自分ですべてを設計した小さな礼拝堂を建てて、81歳でこの世を去っています。
この展覧会では、そのような藤田の心の軌跡を補足してくれる、絵画や挿画入り書簡、手仕事の作品などが多数展示されていて、見ごたえがありました。
小栗康平監督の映画『FOUJITA』で描かれていた、藤田が磔刑にされたキリストに自らをなぞらえていった背景が、少し理解できたように思います。
作品はもちろん、美しい山荘内部も撮影禁止なので、紹介できないのは仕方がないですね。
東側の2階テラスからは、石清水八幡宮のある男山と、木津川・宇治川・桂川の三川の合流地点が見渡せます。
木の力強さと温かみが伝わってくる、テラス上部。
西側の、少し狭いテラス。
テラスのドアノブも、美しいものでした。
大山崎山荘を一度出て、ぐるりと廻って、漱石も訪れたお隣の宝寺へ向かいます。
仁王門には、「聖武天皇勅願所」の石柱。
正式名・宝積寺は、724(神亀元)年、聖武天皇の勅願により行基が開いたお寺です。
羽柴秀吉と明智光秀が戦った山崎の戦いでは、秀吉が本陣を置いたことでも知られています。
入口で立ちはだかる、金剛力士像の阿形。
吽形。
鎌倉時代の作品らしく、力強くてリアル。
どちらも、重要文化財に指定されています。
右手に見える三重塔。
大山崎山荘から見えた、あの塔ですね。
秀吉が一夜で建てたと伝えられていることから、「一夜之塔」の駒札が立っていました。
一夜で城を築いたという、秀吉の一夜城伝説から来ているのでしょう。
本殿は、残念ながら工事中。
本殿の前にあり、秀吉が腰かけて采配を振るったと伝えられる出世石も、見ることはできないようです。
手水舎に大きな亀がいるのは、寺の創建が神亀元年だからなのでしょうか。
奥に見えるのは、閻魔堂。
そして、目的の小槌宮。
小槌を手に持つ福の神とされる、大黒天が祀られています。
扁額です。
蟇股にある、宝船の彫刻。
ちょっと楽しくなる、珍しい彫刻ですね。
屋根の上の飛び狛。
小槌宮には、武天皇が夢で竜神から授けられたと伝えられる、「打出」と「小槌」が祀られているとのことです。
『一寸法師』などの昔話に登場するのは、「打出の小槌」という名の、振れば様々なものが出てくる一つの槌。
でも、このお寺では、「打出」と「小槌」は別のもの。
本殿の前の灯篭を見ていると、ありました。
真ん中に彫られた棒状のものが、「打出」。
その上にある、小さな太鼓に柄がついたものが「小槌」。
「小槌」は、昔話の「打出の小槌」と同じ形状ですが、独立した「打出」の役割は、良く分かりません。
あっ、三重塔の相輪から鳥が飛び立ちました。
宝寺の門前から、三川合流地点を望みます。
下り坂には、付近で見られる野鳥が紹介されています。
確かに、近くの木でさえずる、ヤマガラたちの姿を見ることができました。
大山崎は、京都と大坂の境界にある町ですが、いつ来ても心を潤してくれる良い街でした。