のら印BLOG

野良猫のように街を探索し、楽しさを発見するブログ

味わいのある看板を巡る・御池通から寺町を北へ①

今回も、京都で看板を訪ねて歩きます。

これまでも歩いて来た寺町通りを、もう少し北まで歩いてみます。

寺町御池の交差点。

まっすぐに続く細い通りが、寺町通です。

ここから丸太町通までの間に、アーケードはありませんが、「寺町会」という商店街が続きます。

戦中の強制疎開で広げられた御池通りを越えると、右手に工事が続く京都市役所が見えます。

市役所の正面玄関。

1927(昭和2)年に、「関西建築界の父」と呼ばれる武田五一の監修で建てられています。

塔屋があり、窓やバルコニーや壁面などあちらこちらに装飾が目立つ、役所としては珍しいネオバロック様式

そして、ありました。

篆書体で「京都市役所」とあります。

これが、京都市役所の看板にあたるのでしょうか。

 

市役所西側には、ちょっとレトロな「加納洋服店」。

1927(昭和2)年の竣工です。

「KANO」という切り文字看板の上には、「HIGH CLASS CUSTOM TAILOR」と書かれています。

テーラーという響きは、良いですね。

この建物の不思議なところは、3階のアーチ窓がすべて閉ざされていること。

北側から見ても、開口部はありません。

それもそのはず、これは3階建てのコンクリート造に見せた「看板建築」。

実際は、木造2階建ての町家の屋上部に衝立のような壁をとりつけて、洋風建築に見せかけています。

このお店の場合、3階部分すべてが看板なのかも知れません。

 

寺町通を少し北に進むと、シャッターが下りているお店の木製看板。

「永生堂」という店名に、店主への為書が添えられています。

こちらは、100年続いた手焼きあられのお店だったとのこと。

職人さんの高齢化により、残念ながら閉店されたようでした。

 

続いて、また古い木製看板がありました。

看板には、「蚊帳眞綿蒲團商 浅井商店」とあります。

でも、1階の店舗はおしゃれなカフェレストラン。

蚊帳や布団を売っている気配はありません。

浅井商店は、どうなったのでしょうか。

階段部分を見ると、「浅井ビル」とありました。

まだ、ビルの所有は浅井商店のようです。

 

古い象の台座に乗った、読めない木製看板もありました。

一枚板ではありませんし、全体に白く塗装されていたのでしょうか。

中には接客用の座敷が見えますが、店舗全体を見ても、何のお店なのか良く分かりません。

近づいてみると、磨りガラスの部分に「書畫 骨董」の文字が見えました。

なるほど、このあたりに多い骨董屋さんでしたか。

 

白地の看板の「洋酒食料品 冨屋商店」。

1932(昭和7)年から、当時は珍しかった輸入酒や輸入食品を扱ってこられたようです。

こじんまりした町家に、やや大きめの看板が良く似合います。

 

次に出会ったのが、黒地に味のある篆書体の看板。

珍しい金属製の看板のようです。

清課堂」の文字が、今にも踊りだしそうです。

京都の書家・森岡峻山の書です。

端正な外観の金属工芸専門店、「清課堂」。

だから、看板も金属製だったのですね。

1838(天保9)年に、錫(すず)師として創業したようです。

今では、現存する日本最古の錫工房とのこと。

店頭には、美しい金属工芸品が並んでいました。

 

店内が様々なボタンで溢れる、ボタンの店「エクラン」。

このお店には、100万個以上のボタンが置いてあるそうです。

でも、上部の切り文字看板には、「ボタン」の3文字だけ。

このシンプルさが、魅力的です。

 

その向かいには、額や看板専門店の木彫看板。

こちらは、江戸時代から続いている「清水末商店」。

少なくとも慶応元年に店があったことは確認できますが、創業がいつかは不明のようです。

「額看板」と力強く彫られた看板には、専門店の矜持が感じられるようです。

 

寺町通二条通と交差する角まで来ると、井原西鶴の句碑がありました。

「通い路は  二条寺町 夕詠(ゆうながめ)」。

夕景色の中、寺町の絵草紙屋から四条河原の涼み床へと通う粋人たちのことを詠んだようです。

浮世草子人形浄瑠璃の作者として知られる西鶴ですが、俳諧師でもあったのですね。

 

独特な風情を見せてくれる寺町会の商店街は、このあと丸太町通まで続きます。

続きは、また次回に。

 

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