阪急電車は、大阪梅田終点に到着するまぎわ、国道176号線と並走します。
国道の右後ろに、阪急電車の小豆色ボディが少し見えています。
ここに、阪急電車の中から見ると、美しい教会に見える建物があります。
丸い塔屋の上にあるのは、どう見ても十字架・・・
ではなくて、十字に組まれた避雷針のようです。
この建築は、教会ではなく、1935(昭和10)年竣工の済生会中津病院。
設計は、朝鮮や旧満州、静岡などで多くの公共建築を手がけた中村與資平。
現在の建物は、2002(平成14)年に一旦解体され、復元されたものです。
大きな車寄せの上は、バルコニーになっています。
車寄せ上部と、バルコニーの意匠。
エントランスの照明。
この建築は、正面の外観だけでなく、内部も丁寧に復元されています。
2階回廊にある、テラコッタによる美しい装飾。
車寄せの前には、当初の建築にかかる資金を寄付した、嘉門長蔵夫妻の立派な碑がありました。
済生会病院のすぐ北西に、「この地に梅田駅ありき」の石碑があります。
大阪駅貨物取扱い所として1874(明治7)年にスタートし、2013(平成25)年にその役割を終えた、JR梅田駅の跡です。
車輪のモニュメントも置かれています。
2023年の2月11日までは、阪急電車の下を通る梅田貨物線を、特急が運行していました。
しかし、これも地下線に切り替えられ、現在は線路の撤去と再開発の準備が進められているようです。
工事フェンスの中には、「国有鉄道 通信」と書かれた、マンホールの鉄蓋が残ります。
一般道をまたぐ高架はまだ残りますが、線路はすでにありません。
引きはがされた枕木。
鉄塔は、基礎部分だけになっています。
あらかたは更地となり、ここにも高層ビルが建つのでしょうか。
阪急電車と交差していたあたりでは、道路脇に貴重な双頭レールが残されています。
双頭レールとは、明治初年に使われていた、頭部と底部が同じ形状に作られたレール。
製鉄が未熟だった時代に、頭部が摩耗すれば反転して底部を上にして使用したようです。
再開発によって、これも失われていくのでしょうか。
普通列車しか停車せず、驚くほどホームも狭い、小さな駅です。
高架下には、何とも味わいのある食堂とケーキ屋さん。
2階の焼肉店を示す赤く大きな矢印も、どこか懐かしい。
中津駅北側の公園を抜けると、少し蛇行した道沿いに、中津商店街の入口がありました。
戦後すぐの、1949(昭和24)年頃から続く商店街です。
狭い通路と、レトロな看板。
アーケードはありますが、天幕はありません。
ネパール料理店がありました。
もう多忙ではなくなってしまった、中華料理「多忙飯店」。
なぜか、店頭には米つき石。
面白い形の大根が、店先に並びます。
酒屋さん。
「アサヒゴールド」って、日本最初の缶ビールではありませんか。
当然、アルミではなくスチール缶。
缶切りで2箇所に穴をあけないと、飲めなかったのですよね。
脇の路地には、年代物の業務用自転車と古着屋さん。
ここで、商店街はおしまい。
振り返ると、アーケード越しに、別世界のもののような高層ビルが見えます。
中津は、大阪の中心部にエアポケットのように残された、ちょっと不思議なレトロ空間でした。
梅田貨物駅跡が再開発される中で、これからどのような影響があるのでしょうか。
またいずれ歩いてみたい、気になる街でした。