のら印BLOG

野良猫のように街を探索し、楽しさを発見するブログ

日本一長いアーケード商店街と天満駅裏界隈

前回は、大阪市の北浜から天神橋筋を目指して歩きました。

今回は、いよいよ日本一長い天神橋筋商店街に入ります。

1丁目から始まるアーケード。

天神橋筋は、古くから大阪天満宮の表参道として栄えていたようです。

江戸時代には、天下の台所を支えた大坂三大市場の一つ天満青物市場や、寄席などの歓楽街として賑わっていたとのこと。

1.9kmの商店街ができたのが、明治初期。

アーケードが設置されたのが、1957(昭和32)年。

現在のアーケードの長さは南北2.6kmで、歩いて約40分かかります。

まずは、生そばの「天一更科」。

大阪らしく、出汁が利いていそうですね。

赤い切り文字で「萬(よろず)金物百貨」と書かれた看板の、旭商店。

1947(昭和22)年創業と、戦後すぐからのお店です。

2丁目に入ると、大きな「大阪天満宮 参詣道」の赤い提灯。

提灯の下に、勘亭流で「繁昌亭」と書かれた看板がぶら下がっています。

奥に見えるのが、天満宮の敷地内にある寄席の繁昌亭。

手前にある「喫茶ケルン」の看板には、COFFEE&繁昌亭カレーの文字。

手描きイラストの桂文福師匠は、「繁昌亭で笑ってカレーなる人生を!!」と、ちょっと小噺。

1972(昭和47)年から営業されている店内には、落語家や俳優のサインが所狭しと並んでいます。

気さくなマスターが、大阪弁を学ぶためにこの店でアルバイトをしていた有名俳優のエピソードなどを、教えてくださいました。

こちらが、名物の繁昌亭カレー。

果実のまろやかさに溢れていて、かつスパイシー。

確かに、おいしいカレーでした。

 

天神橋筋2丁目に戻り、洋品店の「なみき」。

店舗前を、これでもかと有効活用しています。

2階の窓からも、通りに突き出した照明灯にも、隙間なく吊るされた商品。

お客さんは、どうやって手に取るのか、ちょっと不思議。

行列が絶えることのない、コロッケの「中村屋」。

ラードで揚げたコロッケの甘さは、健在です。

広い曽根崎通でアーケードが途切れる部分では、ゲートの上部に文楽人形。

人形浄瑠璃作者の近松門左衛門は、天満に住んで、多くの心中物を著しました。

道路の向こう側にも、ありますね。

木戸に貼られた、「60年 ありがとうございました」。

路地裏にあったラーメン・餃子の「おばちゃんとこ」は、閉店したようです。

でも、「千林で会いましょう」とありますから、閉業ではありません。

大阪の出汁文化を支える昆布屋さん。

江戸時代の大坂は、日本海沿岸を巡る北前船で運びこまれた昆布が、集積する町でもありました。

こちらの「浪華昆布」は、1900(明治33)年の創業です。

 

天三商店街では、頭上高く鳥居が並びます。

大衆肉酒場があれば、通りの向かいにも大衆酒場の看板。

ここは「大衆」御用達の商店街のようです。

木製看板がかかる御菓子司「薫々堂」。

1864(元治元)年に、天満宮の戎門前で創業した老舗。

戦災で店舗が焼けたため、現在の場所に移転したとのこと。

天神橋筋商店街で、江戸時代から続く、数少ないお店のひとつです。

こちらは、木枠のガラス戸奥にふるいなどの商品が見える「藤為金網」。

1871(明治4)年の創業と、意外と古いお店です。

次は、星4つの天道虫が目印の「天4」、天神橋筋4番街へ。

おや、ここだけは4丁目ではなく、4番街なのですか。

落ち着いた佇まいの「コーヒーハウス ビクター」。

1967(昭和42)年からと、喫茶店としては老舗です。

店内は、中2階や半地下のフロアもある、面白い構造になっています。

マンホールは、桜の咲き誇る大阪城

玉のよく出るパチンコ屋さんとしか思えない、吹っ切れた原色看板もあります。

こちらは、大阪名物「スーパー玉出」の看板。

すぐ東側には、JR天満駅

駅北側の、天神筋橋商店街と繋がる細い通路。

駅から北に向かうこちらにも、駅裏感あふれる細い路地。

路地の右側には、高熱で焼け焦げたと思われる、かなり古い煉瓦の壁。

煉瓦壁の途中には、「天満市場」と書かれ、閉ざされたシャッターもありました。

この壁は、元々は1888(明治21)年より操業していた天満紡績のもの。

大阪大空襲をくぐりぬけ、以前は天満市場の壁として活用されていたようです。

天満市場は、このすぐ北側に、「ぷららてんま」として現在も存続しています。

そのさらに北には、最近では裏天満とよばれるエリアが続きます。

こちらは、裏天満ちょうちん通り。

天満らしい青果店に隣接して、居酒屋が並びます。

裏天満での五箇条の御誓文

新しい店が多いようですが、以前の天満市場の雰囲気がよく活かされています。

この看板は、すごい。

まだ微かに店名や電話番号が残っている古い看板に、「上海食亭」と上書きして使われていました。

斬新というか、逞しいというか、珍しい看板です。

駅裏から天神橋筋商店街に通じる、天五横丁のディープな路地。

路地は、「三好屋昆布老舗」のところで商店街に合流。

こちらは、100年を超える老舗だそうです。

町中華の「精養軒」。
ネオン看板の豚の夫婦が、ちょっと可愛らしい。

「魚伊」の看板には、大きく「鰻 創業慶応三年」と書かれています。

アーケードの上部に、「天五商店街」と「てんろく」の看板が並びます。

ここからが、天神橋筋六丁目

古い木製看板を残す「小西辰薬局」は、1906(明治39)年の創業。

60年以上続いている、喫茶「コロンボ」。

ロゴマークの「C」が、赤い唇のようで魅惑的。

天六アーケードの終点には、「大阪くらしの今昔館」があります。

今回は、看板を見るだけ。

延々続いて来たアーケードも、天六で終わりです。

でも商店街としては、「てんひち」まで続きます。

大阪では、七を「ひち」と読むのが、しっくりきますね。

天七商店街の街灯には、「ユウラク座」とか、

「ホクテンザ」の看板が残ります。

でも、これらの映画館は、残念ながら今はありません。

 

帰りには、天四に戻り、お好み焼き「千草」に立ち寄りました。

路地裏にあり、1949(昭和24)年から営業されている、雰囲気のあるお店です。

スジ玉モダンを、自分で焼いていただきました。

 

天神橋筋商店街は、大阪では最も知られた商店街です。

これまでも訪れたことはありますが、路地裏のある商店街は、何度歩いても楽しいものですね。

また、新しい発見を求めて、商店街を歩きたいものです。