今回は、大阪市にある京阪電車・北浜駅から、日本一長いと言われる天神橋筋商店街を目指して歩きます。
北浜と言えば、大阪の金融街。
地下の駅から出ると、すぐに大阪の経済発展に貢献した五代友厚の像。
その後ろには、存在感のある円筒形の大阪取引所。
長谷部竹腰建築事務所の設計です。
この建築は、1935(昭和10)年に竣工していますが、2004年に全面増改築されたさいにも、この円型エントランスホールは残されました。
大理石の床面には、天秤を表しているのでしょうか、アールデコ調の幾何学模様がデザインされています。
こちらもアールデコの、美しいステンドグラス。
残された街灯も、面白い。
道路を挟んで向かいにも、おしゃれな洋館があります。
大きなティーポットが吊り下げられたこちらは、現在は英国紅茶とスイーツのお店「北浜レトロ」。
もともとは、1912(明治45)年に大林組の設計・施工で建てられた、株式関係者の集会所「株友会倶楽部」でした。
向かいの証券取引所と、深いつながりがあったようです。
タイル張りなので外見からは分かりづらいですが、実は明治の煉瓦建築。
美しいデザインの窓枠などは、竣工当時のままのようです。
国の登録有形文化財にも指定されています。
使い込まれたドアと取っ手。
こちらのエンブレムは、ティールームへと改装する際に取り付けられたものでしょう。
さて、天神橋筋をめざし、難波橋を渡って土佐堀川と堂島川を越えます。
親柱の上には、石造の獅子が鎮座。
獅子にも阿吽があるようで、こちらは吽形。
難波橋の通称は、「ライオン橋」です。
橋上からは、中之島にある中央公会堂の赤煉瓦アーチも見えます。
銅製の街灯。
橋の中ほどには珍しく塔があり、大阪市章である澪標(みおつくし)が刻まれています。
澪標は、かつて難波江の浅瀬などに立てられていた、水路の標識。
現在の橋は、1915(大正4)年に架けかえられたものです。
橋の高欄にも、澪標はデザインされていました。
難波橋を渡り切ってすぐ東の道に入ると、堀川筋の角に古い土蔵。
錆びた看板には、「乾物問屋(マルキューのロゴ)株式会社北村商店」とあります。
この辺りは、蔵のまちと呼ばれる天満の菅原町。
近世大坂三大市場のひとつであった天満青物市場が発展するなかで、隣接するこの地に乾物問屋街もできたたようです。
建ち並ぶ蔵は、乾物の保存に適していたようですね。
ちなみに、北村商店の創業は、1752(宝暦2)年だそうです。
裏町筋に入っても、マルキューの蔵は続きます。
昆布だしをきかせた上方の出汁文化は、この地域に支えられてきたのでしょう。
近くには、崩落しないよう、丸ごと網で覆われたすごい土蔵もあります。
ごまを販売する、和田萬の萬次郎蔵もありました。
まもなく、裏町筋が広い今の天神橋筋と交差するので、北へ向かいます。
今の天神橋筋の一本東に、少し細い元々の天神橋筋がありました。
通りの入口には、天神橋筋1丁目を意味する、「天神橋1」と書かれたゲートがあります。
ここが、日本一長い商店街のスタート地点。
でも、そのすぐ右手に目をやると、なんとも魅力的なビルが。
ビル全体からアートが溢れ出る、「フジハラビル」。
商店街に入る前に、まずはこちらから。
1923(大正12)年竣工の鉄筋コンクリート造。
外壁表面のスクラッチタイルが、風合いを醸し出しています。
古い木製のドア枠と、ドア上の欄間部分のデザインも良い感じですね。
黄色いブーツは、もちろんアート作品。
このビルでは、ネズミさんが手紙を届けてくれるようです。
少し暗い屋内に差し込む光が、
良く使い込まれた階段に、味わいを加えてくれます。
いたるところにアート。
ふと窓の外に目をやると、隣の屋根の上にも、昼寝する犬や鳥、斃れたガンマンなどがいるようです。
スイッチまでも、このとおりでした。
天神橋筋商店街1丁目に戻ります。
昭和天一ビルには、「熱き心で楽しくおもてなし スナック ルンルン」の看板。
昭和のビルは、こうでなくっちゃね。
鳥居筋まで来ると、「日本一長~い商店街 天神橋1丁目」と書かれた、アーケードの入口。
アーケードの総延長が長い商店街は他にもありますが、天神橋筋の商店街はまっすぐ南北に続いています。
入口には、紅い梅の花とともに、「表参道」の表示も。
この商店街は、大阪天満宮の表参道としても栄えてきたようです。
アーケードに入ろうと思いましたが、また、右手の鳥居筋沿いに気になるお店が見えます。
「創業元禄元年 大阪名代 株式会社とりゐ味噌」の看板があります。
ロゴマークは、鳥居に「みそ」。
創業した元禄元年は、1688年。
この商店街は、1653(承応2)年に青物市が立ったことに始まっているので、商店街の中でもかなり古いお店のようです。
ショーケースには、年代物の陶製味噌樽が置かれていました。
「大阪天満天神前」と書かれています。
大阪天満宮鳥居前に店を構えたから、「とりゐ味噌」なのですね。
確かに、すぐ北側に大阪天満宮の表大門がありました。
この神社の祭りが、日本三大祭りの一つ天神祭りになります。
大門の少し西には、「大阪ガラス発祥之地」の石碑もありました。
江戸中期の宝暦年間に、長崎商人・播磨屋清兵衛がオランダより伝わったガラス製法を学び、ここで製造を始めたようです。
さて、そろそろ天神橋筋商店街の中を歩こうと思います。
でも、少しブログが長くなってしまいました。
ということで、続きは、また次回に。