のら印BLOG

野良猫のように街を探索し、楽しさを発見するブログ

幕府公認の薬種街で看板を訪ねる・京都二条通

今回の看板を巡る小さな旅は、京都の二条通

二条通は狭い通りですが、かつては政治都市・上京と商業都市・下京を分けた、京都にとって重要な通りでした。

鴨川に架かる二条大橋からのスタートです。

鴨川を越えると、右手に見えてくるのが、「貝葉書院」の木製看板。

貝葉(ばいよう)とは聞きなれない言葉ですが、古代インドなどで紙の無かった時代に、このヤシの一種の葉に経典などを書写していたらしい。

ということで、こちらは禅学書籍経典のお店。

1681(天和元)年に、一切大蔵経を専門に摺る書店として創業したようです。

実はこのお店、昨年までは軒上の看板とは別に、「大般若經古板再板版元」と書かれ、130年間も掲げた縦型の木製看板もあったとのこと。

残念なことに心無い何者かに持ち去られ、今はありません。

 

少し西へ行くと、また古そうな書店がありました。

看板には、「宗教書林 芝金聲堂」とあります。

天台宗のお経の本を専門に扱われているようです。

 

広い河原町通を越えます。

御幸町通を越えると、右手に年季の入った木製看板。

花冠の台座の上には、「柳桜園」の文字。

こちらは、幕末からの歴史を持つ柳桜園茶舗の看板。

大徳寺塔頭から贈られた書のようです。

古い「茶」の看板の下には、「大本山大徳寺御用達」や、「総本山知恩院御用達」の札が置かれています。

お店の中にも、買い付けに来ているのでしょう、袈裟を着た僧侶の姿がありました。

 

次は、趣は違いますが、大胆に「白衣」と書かれた昭和の看板。

寺田白衣専門店は、看板の下にある細い露地の奥で、今も営業されています。

「堀九来堂」は、1996(明治29)年創業の和菓子店。

 

東洞院通と交差する角に、トタン壁がベンガラ色に塗られた気になる建物を発見。

食料用色素のお店だったようです。

朱色の看板には、製菓洋品、香料エッセンス、食料用色素等々とあり、良く見ると「吉田商店」の文字も見えます。

二条通のこのあたりは、江戸時代には幕府公認の薬種街であったところ。

かつては100軒以上の薬問屋があったようです。

このような色素のお店や、先ほどの白衣店も、その関係で二条通に店を開いたのかも知れません。

吉田商店の2階角には、仁丹のホーロー看板が2枚残ります。

東面のものには、「上京區東洞院二條上ル壺屋町」。

南面には、「上京區二條通東洞院西入仁王門町」。

たった20cmほど離れているだけなのに、町名も異なれば、タテヨコの通り名の表記順も違います。

おもしろいですね。

ちなみに、西隣は「中嶋生薬株式会社」。

こちらは、1893(明治26)年の創業。

京の通り名数え唄にもある、二条の「きぐすりや」さんですね。

 

二条通と交差する東洞院通を、少し南に入ります。

何だかものすごく存在感のある町家があります。

庇の上には、銅葺き屋根付きの立派な袖看板。

少し読みにくいですが、「商標登録 (商標 北のロゴ) 無二膏 雨森」とあります。

裏側を見ても、書いてある内容は同じ。

台座にも銅板が使われています。

こちらは、はれ物の膿を吸い出す膏薬・無二膏を扱ってきた「雨森敬太郎老舗」。

やはり、生薬屋さんです。

1648(慶安元)年創業の老舗ですが、残念ながら現在は閉業されているようでした。

 

少し南にあるのが、古い蕎麦屋さんの「尾張屋」。

そう言えば、「蕎麦は薬」と言われますよね。

木製看板の文字が消えかかっていますが、こちらの創業は1465(寛正6)年。

なんと、あの応仁の乱よりも前になります。

もとは菓子屋だったようですが、そこから数えると、日本最古の蕎麦屋ということらしい。

ちなみに今の建物は、明治初期のものだそうです。

「そはもち 一子相」の看板もあり、蕎麦菓子のお店でもあります。

菓子処の中にも、看板が掛かります。

優しい隷書体で「蕎麦饂飩」。

へえ、うどんも出しているのですか。

「六六學人機」の名がありますので、古文壽字百体の筆写で知られる京都の書家・松邨乾堂の書のようです。

名物の「そば餅」は、江戸末期頃から作られているようでした。

 

二条通に戻ると、また生薬のお店。

看板に「(〇万)ニ條 和漢薬」とある、東田商店。

 

烏丸二条の角にも、「(〇チ)わやくや」とある千坂漢方薬局。

お店の角には、「北大路魯山人 ゆかりの地」の説明板がありました。

多彩な芸術家・美食家として知られる魯山人が、少年時代にお店で奉公していたことを伝えています。

 

その北側には、お香で有名な「松栄堂」の京都本店。

1705(宝永2)年頃に創業し、お香づくり一筋にやってこられたようです。

お香もまた、生薬と関係が深いものですよね。

入口奥には、「薫香」と書かれた雰囲気のある木製看板。

雲巖書とありました。

 

広い烏丸通を越えて、二条通を西へ進みます。

二つの建物に挟まれるように建つ、小さな祠がありました。

1858(安政5)年に、薬業仲間が祀ったことに始まる薬祖神祠です。

現在の場所には、明治期に遷座されています。

鳥居の裏側には、「明治三十九年」とありました。

ユニークな形状の扁額に記された薬祖神として、大国主神少彦名命、神農が祀られてきたようです。

面白いことに、明治になってからは、西洋医学の祖であるヒポクラテスも合祀されています。

祠の右側には、アールデコ調の建物。

二条薬業会館です。

1936(昭和11)年の竣工ですが、現在は閉まっているようでした。

二つのベンゼン環?にN I J Oとデザインされた紋章が残ります。

祠の左側には、老舗薬局の「山村壽芳堂」。

ふくよかな、お客さんが安心できそうな文字ですね。

軒下には、看板商品の心臓薬・瑞星の文字が見えます。

少し引いて見ると、薬祖神祠は、薬業会館と老舗薬局に両脇から守られているようでした。

 

今回は、二条通を薬祖神祠まで歩きました。

京都にも、大阪の道修町のような薬種街があったのですね。

二条通は、決して賑やかな通りではありません。

ですがその分、風情のある看板が静かに佇んでいるのを見つけることができる、楽しい通りでした。