趣のある看板を訪ねて、歩き始めています。
京の通り名数え唄にある、「丸、竹、夷、二、押、御池、姉、三、六角・・」に出てくる「姉」ですね。
ちなみに通り名は、「あねこうじ」とも言われますが、「あねやこうじ」と呼ばれることが多いようです。
姉小路橋の北西角には、「従是西 徳川時代対馬宗氏屋敷跡 付 桂小五郎寓居跡」の碑が建っていました。
西へ歩き、河原町通を越えます。
最初に出会ったのが、変体仮名で「生楚者゛」と書かれた切り文字看板。
「きそば」のお店のようですが、明らかに営業してはいません。
「東京生楚者゛」、「東京天婦羅」と書かれた、薄い板の木製看板もあります。
軒先の行灯看板には、「福」の文字がデザインされていますが、今や店名も分かりません。
個性的な仏教書専門店・其中堂の看板と店構えを見ながら、少し北に折れ、
お香と書画用品の鳩居堂の手前を、今度は西に折れます。
少し歩くと、北側に「祭具 装束 株式会社 三上装束店」の縦型の木製看板。
1867(慶応3)年創業ということですから、大政奉還の年からのようです。
そのお向かいにあるのが、「総本家 河道屋」。
創業は、1688(元禄元)年。
京町家の屋根に、煉瓦積の煙突。
面白いですね。
厨子二階に掲げられた、「蕎麦ほうろ 河道屋老舗 天香題」の木製看板。
蕎麦で知られる河道屋ですが、こちらは蕎麦粉を原料に焼いた菓子・蕎麦ぼうろのお店です。
看板の文字には、かなりの勢いを感じます。
争いの無い生活を実践する修行の場であった一燈園には、哲学者の和辻哲郎や小説家の徳富蘆花、倉田百三、自由律俳句の尾崎放哉ら、そうそうたる顔ぶれが通ったようです。
そのお隣は、日本画専門絵具の「彩雲堂」。
明治初期の創業です。
こちらも虫籠窓の前に、風情のある木製看板。
日本画専門の絵具店らしく、店名の部分は美しい白緑で書かれています。
「彩雲堂 為藤本氏 鐵齊」。
鉄斎は、このお店から画材を購入していたようで、その関係で書いたのでしょう。
店主である藤本氏への、為書となっています。
鉄斎は、ただ屋号を書いたのではなく、「彩雲堂」の屋号そのものを藤本氏に贈っているようです。
店先には、こんな嬉しくなる看板もありました。
「営業時間 日の出より夜(まで)」。
良い感じです。
麩屋町姉小路を少し下がったところには、先ほどあった河道屋の生蕎麦のお店、「晦庵 河道屋」がありました。
こちらも江戸時代から続いています。
袖行灯看板に、漂う風情。
「そば 芳香爐」とあります。
芳香爐とは、このお店独自の蕎麦鍋のようでした。
麩屋町姉小路を少し上がると、京都に現存する最古の旅館「俵屋」。
創業は1704(宝永元)年。
現在の建物は、幕末の禁門の変により焼失した後、再建されたものです。
行灯看板の一つの面には、「俵の絵+屋」で俵屋とありました。
ちょっと楽しくなる看板です。
その向かいには、俵屋、炭屋と並んで京都御三家とよばれる老舗旅館「柊家」。
こちらの創業は、1818(文政元)年。
宿としては、2代目の頃から営業されているようです。
文豪・川端康成が京都の定宿としていたことでも知られています。
姉小路通からは、右に俵屋、左に柊家と、向かい合う二つの老舗旅館が見えました。
1906(明治39)年の創業ですから、古いお豆腐屋さんです。
美食家・北大路魯山人も好んだお店とのこと。
木の壁に貼り付けられた、赤い丸に「平」のロゴが愛らしい。
これも切り文字看板なのでしょう。
続いて、お酒の泉屋市古商店。
通り庇の上には、面白い木製看板がありました。
中央には、「特約店 泉屋市古商店」とあり、左右に醸造会社のロゴマークが並びます。
右には、「盛田合資會社醸造 味噌溜」と「山泉」のロゴ。
左には、「坪田醤油株式會社醸造 醤油」と「丸ほ」のロゴ。
3つの名前が並び、賑やかな看板です。
ちなみに、盛田合資會社は、ソニー創業者である盛田昭夫氏の実家だそうです。
その短い区間に、見事な木製看板が集中しています。
まずは、落ち着いた町家に掛かる、「柚味噌」の個性的な文字の看板。
書家であり、篆刻家であり、画家であり、陶芸家であり、料理家であり、美食家であって、『美味しんぼ』の海原雄山のモデルとされる北大路魯山人の書です。
お店は、1727(享保12)年創業の「八百三」。
表に掛かっている看板はレプリカで、実物は店内にありました。
こちらが実物。
魯山人は、自ら書き、彫っています。
落款には「大観」の文字が見えますので、魯山人がまだ福田大観を名乗っていた若い頃の作品のようです。
店内には、様々な書も掲げられています。
真ん中のものは、首相や元老であった西園寺公望の書。
ショーケースには、柚子型の陶器に入った柚味噌が並んでいます。
店内には、井戸も残されていました。
続いては、数軒先にある「春芳堂」。
1856(安政3)年創業の表具店です。
赤い文字の草書で、柔らかく書かれた店名。
こちらは、戦前の京都画壇を代表する日本画の大家・竹内栖鳳の書。
栖鳳は、春芳堂の表具を好んでいたようです。
最後は、いよいよ今日の本命です。
春芳堂の西隣にあるのは、1804(文化元)年創業、干菓子の「亀末廣」。
落ち着いた風情の町家に、「御菓子司亀末廣」と書かれた横長の木彫看板。
書は、中国に渡って学び、関西の書道界に大きな影響を与えた山本竟山。
何と、美しい文字の周囲には、干菓子の木型が巡らされています。
桔梗もあれば、魚や、躍動する鶴もいます。
葵や、海老に、扇子もあれば、
牡丹や、菖蒲や、飛び立つ鷹も。
これほど趣のある看板は、なかなか見ることができないかも知れません。
美しい木型で看板を縁取るという、素晴らしいアイデア。
御所や二条城からの特別注文では、木型が1回だけの使用で不要となってしまうことから、このように活用されたようです。
少し暗いめの店内は、昔のままなのでしょう。
柱には、今も大福帳が掛かっていました。
看板商品は、見た目も美しい「京のよすが」。
一番小さな、手作りの箱に詰められた小サイズを購入しました。
2段重ねになっているので、見た目よりたくさん入っています。
蔵の白壁には、末広がりの扇の中で亀がはい出そうとしているデザイン。
「亀末廣」そのものですね。
姉小路通沿いは、看板好きにとって、とても濃密な空間でした。
看板を訪ねる小さな旅は、これからも続けてみようと思います。