駅構内は、たくさんの円形が重なり合う楽しいデザイン。
南海特急「ラピート」をデザインした若林広幸による設計で、1996年に竣工しています。
外観にも、5つの切妻屋根の下に、連続するサークル。
駅横にも茶畑が広がる風景が、お茶の街宇治らしい。
駅の北側には、豊臣秀吉が宇治川で行った大土木工事の跡である「太閤堤」。
立ち並ぶ木の杭と石積みは復元されたものですが、実際の護岸もこの2m下に保存されています。
後ろの杜は、応神天皇の皇子であったとされる菟道稚郎子(うじのわきいらつこ)の宇治墓とのこと。
その脇の陪塚には、「浮舟宮跡」の石碑。
浮舟は、源氏物語の宇治十帖に登場する悲劇のヒロイン。
小説中の人物の遺跡が混在しているのも、宇治らしいところなのでしょうか。
京阪宇治駅から南を眺めると、宇治川に架かる宇治橋はすぐ目の前。
橋の東詰めには、平安末期創業の「通圓」茶屋。
初代は、源平による宇治平等院の戦いに参戦し、源頼政とともに斃れたというのですから古い。
現在の建物は、旅人を迎える長い庇と広い間口が特徴的な、江戸初期のもの。
店内には、豊臣秀吉が千利休に特別に作らせた釣瓶が、手の届きそうなところに置かれていました。
秀吉は、茶会に用いる宇治川の水を、この店に汲み上げさせていたということです。
宇治橋を渡ると、上流側の中ほどに、「三ノ間」と呼ばれる張り出しがありました。
通園茶屋の当主は、日の出前に、ここで秀吉に供する水を汲んでいたようです。
橋の西詰めには、紫式部が鎮座。
西詰から南を見ると、三本に道が分かれています。
真ん中に、縣(あがた)神社の大鳥居がある、あがた通り。
ここでは、右手へ。
宇治橋通りは、奈良街道の一部でもあり、戦国時代から茶師とよばれる茶業家の屋敷が並んでいたところです。
通りの左手に、ちょっとレトロな洋館の医院を発見。
医院東側の煉瓦塀は、なんとも味わいのある古び方。
続いて、昭和感が漂う大阪屋マーケット。
1962(昭和37)年と、高度成長期まっただ中の開業。
今は、通路の両側に、若い店主さんたちが営む楽しいお店が並んでいます。
こちらは、長屋門に「上林(かんばやし)茶舗」の看板を掲げた上林記念館。
「綾鷹」で有名な上林春松本店にある宇治茶の資料館で、今に残る茶師屋敷ですね。
館内は撮影禁止でしたが、豊臣秀吉からの書状や、徳川将軍家へのお茶壺道中で用いた長棒駕籠などを見ることができました。
上林家は、宇治茶師を代表する名家でもあったようです。
少し進むと、銀行の前に「宇治代官所跡」の石柱。
宇治の代官は、本能寺の変で三河に逃げ帰る徳川家康を助けた功により、上林家が任命されていました。
今度は、アーチ窓が並ぶ、昭和初期らしい丸五薬品という薬局のビル。
かつては丸五百貨店だったようです。
薬局のお話によると、外国人観光客で賑わっているこの通りですが、かつては地元の大きな繊維工場関係者などで今よりもっと賑わっていたとのことでした。
こちらは、いつも暖簾の奥に長い行列が続く、抹茶スイーツの中村藤吉本店。
1854(安政元)年の創業で、現在の建物は明治中期のものらしい。
「暗夜の奇祭」と呼ばれ、10万人もの人が訪れる、あがた祭の舞台の一つです。
門に掲げられた、神楽殿改築記念の扁額。
京都の神社ですが、奉納しているのが大阪の講なのが興味深い。
宇治壱番にある道標には、「右 阿がた 平等院 三むろ道」。
ということで、右の道を東へ進むと、こちらもあがた祭の舞台となる「縣神社」の鳥居に行きあたります。
本殿前にある狛犬の台座には、奉納者として「大坂新町」の名が刻まれていました。
やはり、あがた祭は、大阪など周辺府県の信者によって支えられてきたようです。
境内には、祭りのハイライトとして暗闇の中を渡御される梵天が、静かに祀られていました。
さらに東へ歩くと、宇治川に架かる赤い喜撰橋の向こうに、大きな石塔が見えます。
この塔の島にある浮島十三重塔は、鎌倉時代に建てられた後、川の氾濫によって川底に長く埋もれていたものらしい。
近くの生垣の隙間から、世界遺産の平等院鳳凰堂も、ちょっと拝見。
朝霧橋から、宇治川上流を望みます。
まずは鎌倉初期に建てられた、国宝の拝殿。
現存する神社の拝殿としては、最古のものになります。
檜皮葺の屋根が、両端からさらに庇が伸びていて、縋破風(すがるはふ)という山型のデザインになっているのが美しい。
続いて、現存する最古の神社建築である本殿。
平安後期の建築で、もちろん国宝です。
1棟の建物に見えますが、見えているのは覆屋で、中に3棟の内殿があるのも面白い。
宇治川べりでは、昭和3年に建てられた京都府茶業会館も見ることができます。
上流に向けて歩くと、陶板を張りつけた朝日焼窯元の楽しげな門柱。
標札の文字も躍動しています。
この水流の奥には、煉瓦造の宇治発電所があるはずですが、見えるような見えないような。
河畔の木の枝には、源氏物語の巻名の一つにもなっている「宿木」がまあるく。
向こう岸に見える旅館は、昭和初期に治安維持法改悪に反対してテロに斃れた政治家、山宣こと山本宣治の実家である花やしき浮舟園。
やがて、吊り橋が見えてきます。
天ケ瀬橋です。
その先には、勢いよく水を吐き出す天ケ瀬ダム。
1924(大正13)年の竣工で、1964(昭和39)年まで稼働していました。
少し引いて見ると、力強いダムと、煉瓦造の発電所に、宇治川の美しい流れ。
ここは、私の大好きな景観のひとつです。