のら印BLOG

野良猫のように街を探索し、楽しさを発見するブログ

京都御苑に隣あう煉瓦建築群①・同志社大学今出川キャンパス

烏丸今出川交差点から東を望むと、右手に京都御苑の森が広がっています。

左手に見えるのは、一部の塀を和風にしている同志社大学

江戸時代までの公家屋敷は、御苑の中だけでなく、今出川通の北側にも並んでいました。

今も、あの歌聖・藤原定家の子孫である冷泉家の住宅は、大学に三方を囲まれるようにして、昔のままの姿を残しています。

校地の烏丸通側には、中世に今以上の大寺院であった相国寺の遺構。

幕末の政局に大きな影響を及ぼした、薩摩藩邸(二本松屋敷)跡の石標も立っています。

同志社は、南の御所と北の相国寺に挟まれ、公家屋敷や薩摩藩邸があった京都の要地に拓かれた大学。

明治初めのキリスト教解禁まもない時期に、よくミッション系の学校がこの場所に開設できたものだと思います。

西門から入校しましたが、いきなり目の前に風格のある煉瓦建築。

こちらは、1884(明治17)年竣工と、同志社の煉瓦建築の中で最古の彰栄館。

現存する京都市内の煉瓦建築としても、最古のものになります。

設計は、アメリカン・ボードの宣教師であり、同志社英学校の教員でもあったD.C.グリーン。

赤い煉瓦と白い花崗岩を組み合わせた外観は、見るからに洋風。

でも、内部は大工の棟梁による純和風の工法が用いられているらしい。

尖塔アーチを積み重ねた鐘楼の上には、時計台。

窓の上に眉毛のようにつけられた石の装飾が、妙に可愛らしい。

 

その東にあるのが、やはりD.C.グリーンにより設計された同志社礼拝堂。

1886(明治19)年竣工で、日本プロテスタントの煉瓦造チャペルとしては、現存最古のものになります。

大きな薔薇窓に、彰栄館と同じ石の装飾がある尖塔アーチ窓。

窓は内側から見ると、色鮮やかなステンドグラス。

まだ本式の技法ではなく、木枠に色ガラスをはめ込んでいるのが面白い。

きれいに縦長の尖塔アーチ窓が並ぶ側面。

煉瓦の壁を、控壁を並べて補強しています。

ユニークな形状の煉瓦煙突の上には、風見。

屋根の最上部に並ぶ、十字架をデザインしたような細かい装飾。

プロの建築家ではなかったD.C.グリーンですが、煉瓦も美しく組まれています。

定礎年も刻まれていました。

礼拝堂の奥にも、まだまだ煉瓦建築が続きます。

 

続いては、1890(明治23)年に建てられたハリス理化学館。

イギリス人の建築家・ハンセルが設計しています。

アメリカ人であるD.C.グリーンの建築とは、同じ煉瓦建築でも少し趣が違うのかな。

エントランスの上には、「SCIENCE」の浮き彫り。

その上部には、煉瓦で十字架を表現。

窓枠にも、十字架が石材でデザインされているのが凄い。

瓦屋根から突き出す煉瓦煙突の形状も、なかなか凝っています。

中に入ると、アールをつけた美しい階段手すり。

内部はギャラリーになっていて、同志社の歴史が紹介されています。

同志社ハリス理化学校開校当日の写真が、展示されていました。

あれっ、建物の中央上部に、今はない大きな塔屋があるじゃないですか。

調べると、これは天文台だったようですが、翌年の濃尾大地震を受けて撤去されたようでした。

なるほど、裏側に残された八角形の出っ張りは、天文台に登る螺旋階段だったのですね。

 

次は、1894(明治27)年竣工のクラーク記念館。

塔屋が銅板葺の丸い屋根であるなど、他の建築とは明らかに雰囲気が違っています。

これは、設計したのがドイツ人建築家のR・ゼールであるためらしい。

塔の横には、ドーマー窓や、面白い雨除けがついた煙突。

あちらこちらに、小さな尖塔が付けられています。

石で装飾された玄関ポーチの上には、バルコニー。

玄関ホールに入ると、篆書体で「神學館」と書かれた扁額。

当初は「クラーク神学館」と呼ばれたようで、中には今出川キャンパスだけで3つもある礼拝堂のひとつがあります。

「A.D.1892 明治二十五年」は、定礎の年。

床下の通風孔も、細かくデザインされています。

ドイツ風の建築ですが、煉瓦の積み方はイギリス積なのですね。

クラーク館の北東には、「出陣記念」の植樹記念碑がありました。

側面には「厚生學専攻第二回卒業生」の文字。

出陣する学徒自らが残した、同志社の戦争遺蹟です。

 

少し南西へ行くと、もう一つの古い煉瓦建築。

1887(明治20)年に、同志社最初の図書館として建てられた有終館です。

設計は、彰栄館や礼拝堂など最初期の煉瓦建築を手掛けたD.C.グリーン。

洋式図書館建築としては、日本最古のものだそうです。

尖塔アーチのエントランス。

煉瓦が少し煤けて見えるのは、1928年に火災で内部を焼失しているからかも知れません。

火災後に建物は解体されそうになりましたが、「関西建築界の父」・武田五一が手掛けて外壁保存されています。

北側から見た壁面。

赤煉瓦に花崗岩の白い帯、黒煉瓦によるアクセント、煉瓦を斜めに積んだデザインも見られます。

この南側出入口のデザインも、楽しいじゃないですか。

 

その東には、近年改築されましたが、W.М.ヴォーリズ設計の致遠館。

玄関には、初期の同志社英学校に籍を置いた、徳富蘇峰揮毫の扁額が掛かっていました。

そして、その前には、創設者・新島襄の建学精神を示す「良心碑」。

「良心之全身二充満シタル丈夫ノ起リ来ラン事ヲ」、と刻まれています。

良心に満ち溢れた人物を世に送り出すために、新島は同志社を興したということでしょう。

ここで一度、正門から退出。

今出川キャンパスは、相国寺道を挟んで、まだ東へ続きます。

相当な見応えのある、今回の煉瓦建築巡り。

御苑の北隣を、もう少し歩いてみたいと思います。