のら印BLOG

野良猫のように街を探索し、楽しさを発見するブログ

日本初の田園都市と即位礼饗宴場を遺す真宗寺院・吹田市千里山

大阪府吹田市にある阪急千里山駅で降り、西側の丘陵を少し登ると、千里山第一噴水があります。

丸い噴水の真ん中には美しい彫刻があり、てっぺんには勢いよく水を放つ小便小僧。

このロータリーを中心として、千里山の丘陵上には放射状に道が整備され、ゆったりとした住宅地が広がっています。

噴水横には、「千里山開設記念碑」。

1920(大正9)年に住宅地を開発した「大阪住宅經營株式會社」が、会社を解散するにあたって建てた石碑です。

千里山住宅地は、産業革命後のイギリスで生まれた田園都市の構想を、日本に初めて持ち込んだものらしい。

少し北に歩くと、千里山キリスト教会が小高い丘の上に建っています。

1948(昭和23)年に、河邉満甕牧師が自宅を開放して始めた単立の教会は、一粒社ヴォーリズ建築事務所の設計。

木をふんだんに使用した礼拝堂がゆったりと建っている様は、この千里山に良く似合っているようです。

正面から見た、礼拝堂の上部の採光部。

中に入らせていただくと、何本もの曲げられた木の太い骨組みが、連続する尖塔アーチとなって建物全体を支えています。

その奥からは淡い光が採りこまれ、何とも心安らぐ空間。

ちょうど、大きな木造船の船底を見ているかのような面白い構造。

旧約聖書に登場するノアの箱舟が、思い出されました。

さらに北に歩くと、やはり彫刻のある千里山第二噴水。

近くには瀟洒な家々が並びますが、こちらはちょっと古そうな洋館。

棟飾も、洋風で面白い。

三角のドーマー窓に、瓦葺きの煙突。

地元の方にお聞きすると、戦中にはドイツ人が住んでおられたとか。

 

このへんで、丘を下りて千里山駅前に戻りましょう。

駅西側にある、閉業している食堂左の路地に入ります。

前回大阪万博のシンボル・太陽の塔が描かれた、吹田市のマンホールも見ながら坂を登ると、

浄土真宗本願寺派の千里寺があります。

一見、高台にある普通のお寺に見えますが、

本堂側面には、朱塗りの扉。

金具にも、細かい細工が施されています。

扉の上には、これまた手の込んだ青銅製のブラケット。

横にある説明板を見ると、1928(昭和3)年に京都御所で行われた昭和天皇即位大礼の饗宴場の一部が、本堂として使われているようです。

一度近くの関西大学へ移築されていたものが、戦後の寺院創建時に、こちらへ移されたらしい。

お寺の方にお願いして、内部も見せていただきました。

外陣にあたる部屋から、圧巻です。

三十五燈シャンデリアが下がる、黒漆塗を用いた豪華な二重折上げ格天井。

洋風と和風が、うまく調和されています。

シャンデリアの支柱に並んでいるのは、鳳凰のよう。

内陣にも、やはり同じシャンデリア。

躍動感のある波の水墨画もありますが、

天井には、金箔を用いた彩色画。

こちらの障壁画も、すごい。

当時のきらびやかな建築が、こんなにも良く、簡素を旨とする浄土真宗の寺院に残されていることに驚きです。

続いて、千里山駅の東側へ。

南側の丘陵の上には、関西大学の学舎が見えます。

近くには、落ち着いた造りの吹田市千里山・佐井寺図書館。

この地にあった千里第二小学校旧校舎の、雰囲気を残して建てられているようです。

前には、古い石の校門が残されています。

裏面を覗くと、「大正十五年八月」の文字。

もう一方の裏には、寄贈者として「千里村」の篤志家の名前が刻まれています。

吹田市千里山(せんりやま)が「千里村」であった時代。

村は「せんり」ではなく、「ちさと」と呼ばれていたのが面白い。

「せんり」と呼ぶようになったのは、日本初の田園都市千里山住宅地が開発された時からのようです。

ちなみに、この千里山・佐井寺図書館の愛称は、「ちさと図書館」であるらしい。

少し歩いたので、最後はゆったりとしてコーヒーがおいしい、駅前の葉山珈琲店へ。

と思ったのですが、軒先テントからは葉山珈琲店の文字が消え、別の店名に変わっている。

でも、入口には「HAYAMA COFFEE」の文字。

まあ、いいか。

店内では、ロースカツサンドのセットをいただきました。

千里山では、大正期から開発されたモダンな住宅地を、ゆったりと楽しむことができたようです。