のら印BLOG

野良猫のように街を探索し、楽しさを発見するブログ

「大大阪時代」を垣間見る街歩き・中央公会堂から府庁舎本館へ

大阪市中心部にある、美しい中州の中之島

土佐堀川の向こうに、1918(大正7)年に建てられた大阪市中央公会堂が見えます。

赤煉瓦に白い石の帯を配した外観は、いわゆる辰野式。

実施設計の段階で、東京駅も設計した辰野金吾の手が入っています。

正面アーチの上から小さく覗いているのは、知恵の女神・ミネルバと商業の守護神・メルキュール。

大阪に相応しい神々ですね。

「定礎」の揮毫は、今や1万円札の顔となった経済人・渋沢栄一

腰壁部分に黒っぽい大理石を用いた、重厚なエントランスホール。

階段の木製親柱にも、美しく彫刻が施されていました。

地下の展示室では、大阪が「大大阪(だいおおさか)」とよばれた時代についても紹介されています。

大正期に起きた関東大震災後、東京から多くの人が流入したことによって、大阪は当時の東京市を凌ぐ日本一の大都市になったらしい。

近代建築が次々と建設され、華やかで活気のある大阪の黄金時代が「大大阪時代」。

昭和初期まで、繁栄は続いています。

中央公会堂は、この時代のシンボル的な存在なのでしょうね。

公会堂の東側は、大正期の絵図と変わらず広い公園。

都会の真ん中なのに、雀さんにも出合えます。

少し歩くと、ライオン橋として親しまれる難波橋

現在の橋は、1915(大正4)年に架けられています。

橋を渡り切ると、南詰の北浜駅前には獅子像が鎮座する親柱。

大大阪」に向けて拡大していく都市に似つかわしい、凛々しい姿を見せてくれます。

ここは、江戸時代以来の金融街である北浜。

近代大阪経済の礎を築いた五代友厚像の後ろには、大阪取引所が建っています。

円筒形の堂々たる建築は、1935(昭和10)年に竣工した旧大阪証券取引所のビル。

ここが、繁栄する「大大阪」の、経済の中心地だったようです。

斜向かいには、北浜レトロビルヂング

株式関係者の集会所・株友会倶楽部として建てられたとのこと。

隣りのビルとの隙間を覗くと、なんとも古い赤煉瓦の壁が残されています。

1912(明治45)年の、竣工時のままなのでしょう。

少し東へ歩くと、土佐堀川から分流した東横堀川に差しかかります。

東横堀川は、豊臣秀吉によって大坂城の西惣構堀として開削された運河。

ここから真っ直ぐに南行し、途中で突然西方向に流れを変え、道頓堀川となっています。

近くには、京街道の起点、つまり東海道五十七次の終点でもあった高麗橋

この橋は、中国街道紀州街道暗越奈良街道、亀岡街道などの起点でもありました。

まさに、交通の要衝だったようです。

そのような高麗橋の東詰には、「里程元標跡」の標柱が立っています。

里程元標は、大正期に設置された道路元標より古いもので、明治初期に設けられたもの。

明治期の西日本道路網は、ここから広がっていたようです。

土佐堀川東横堀川の分岐点に戻ると、角のアールが特徴的な福原ビル。

なんばの美しい南海ビルディングを手がけた久野節の設計による、昭和初期の建築です。

その東には、やはりレトロな旧大林組本店ビルがあります。

ビルの両肩にあるメダリオンの下には、「ANNO DOMINI MCMXXVI」の文字。

ラテン語で、紀元1926年という意味らしい。

エントランスには、翼を広げた鷲の彫刻がありました。

さらに東へ歩くと、北浜東野村ビルの壁面に、咆哮するライオンの彫像が並びます。

これは、1921(大正10)年に建てられた、先代北浜野村ビルの壁面彫刻が保存されているものとのこと。

それにしても、勢いがあった「大大阪時代」の彫刻には、獅子や鷲といった強そうな動物が多いですね。

先日も来た旧高倉筋で、上町台地の石段を登り、

高麗橋通を東に向かうと、ビルの陰から大阪城天守閣が、ひょっこりはんのように登場してきます。

西外堀に突き当たり、上町筋を南に向かうと、

大阪府庁舎本館がありました。

車寄せの紫雲石に施された、細やかな彫刻。

入口でもらったリーフレットによると、1926(大正15)年の竣工で、現在も使用されている都道府県庁舎でもっとも古い建物だそうです。

あれ、1904(明治37)年に建てられ、執務室としても使用されている京都府庁旧本館はどうなるのかなと思いながら入館。

エントランスでは、レトロな照明の下でミャクミャクが迎えてくれたのですが、

えっ、楽しみにしてきた正庁の間の公開は、緊急修繕のため中止ですか。

ショックですが、とりあえず行ってみましょう。

高い吹き抜けと、大理石をふんだんに用いた正面の大階段は見事です。

イタリア産の大理石だそうで、あちらこちらに化石も眠ります。

これなんかアンモナイトじゃないのかな。

ダメ元で5階の正庁の間に向かうと、ドアは空いており、職員さんがおられました。

声を掛けると、入口からの撮影はOKとのことで、ちょっと嬉しい。

美しいステンドグラスがある高い天井と、吊り下げられたシャンデリア。

壁面の装飾も、手の込んだものばかり。

大大阪時代」の行政の中枢らしい、風格ある建築を見せていただきました。

玄関から出ようとすると、真正面には大阪城天守閣。

大阪城大阪府庁は、上町台地の上で、向かい合って建っているのですね。

どちらも大阪の中心ということでしょうか。

少し南には、大阪歴史博物館のビルがあります。

ここでも、当然のように、「大大阪」の展示がありました。

10階からは、大阪城もよく見えますが、

その南には、古代の難波宮跡も展望できます。

上町台地の北端は、古代から大阪の中心地であり続けてきたようでした。