駅前を寝屋川が流れています。
さほど広い川ではありませんが、市の名前になっているくらいですから、この地域にとっては重要な役割を果たしてきたのでしょう。
寝屋川にかかる外島橋を渡ると、すぐにアーケード商店街になります。
「ベルおおとし」と書かれたカラフルな東口ゲート。
このネーミングは、どこからきているのでしょうね。
この商店街は、東隣の交野(かたの)市から来ている交野街道に沿ってあります。
商店街に入ってまもなく、南側の鉄板焼き屋さんとブティックの間になにやら隙間が。
下っていく階段があり、向こうに緑が見えているとあれば、行かない手はありません。
先ほどの寝屋川とほぼ川幅がかわらない水路。
友呂岐(ともろぎ)水路とよばれているようです。
昔ここには、寝屋川とも並行して2本の水路が流れていたとのこと。
近世に築かれた灌漑用の二十箇用水路と、排水用の友呂岐悪水路。
戦後、水田の減少にともなって、1本の水路にまとめられました。
水路の一本化によって空いた土地には木々が植えられ、友呂岐緑地と呼ばれています。
木陰になって見えにくいですが、木製の舟が展示されています。
案内板はありますが、劣化のため読みづらい。
でも、船は三枚板舟と書いて、「さんまいだぶね」と呼ばれたことは分かりました。
三枚板とは、船底に用いた板の枚数。
用水路を行き来して、刈り取った稲や肥桶を運搬していたようです。
用水路は、かつて一面に水田が広がっていた寝屋川の人々の生活と、深く関わってきたのですね。
緑地には、交野街道への道標もありました。
街道は、商店街の通りになります。
そこで振り返ると、なんと商店街は友呂岐水路をまたいでいます。
商店街を歩いているときには気づきませんでしたが、先ほどのブティックなどのお店は、完全に水路の上にあるようです。
商店街に戻ると、水路の東側にあるお店の前に、こんなものも発見。
何の説明もありませんが、位置から考えると、用水が一本化される前の二十箇用水路に架けられていた橋の親柱ではないでしょうか。
水路の西側には、「悪水井路(あくすいいじ)」と書かれた石柱もありました。
友呂岐悪水路の跡ですね。
商店街を進みます。
魅力的な、うどん、そば350円。
お肉屋さんは、揚げ物のメニューが豊富。
大阪の庶民的な商店街にはだいたいある、あの美容室も。
のみどころ横丁という路地もありました。
アーケードの西口。
ここから先も、交野街道は西へと続きます。
商店街を、少し戻ります。
北側に続く通りと出あうT字路では、天井から真鍮製で時計がついた洋風の鐘が釣り下がっています。
商店街の名前は「ベルおおとし」。
ベルとは、これのことですね。
ちなみに、この鐘は、寝屋川の姉妹都市であるアメリカのニューポートニューズ市から寄贈された、実際に港で使われていたものとのことでした。
商店街の分岐点から見た北側の通り。
ベルおおとしの北口。
ここでアーケードは終わりますが、その先も「神社通商店街」として続きます。
突き当りに、神社の緑が見えます。
大利神社です。
もともとの祭神は、農家の五穀豊穣を祈る大歳(おおとし)神。
「ベルおおとし」のおおとしは大利であり、大歳神からきていたのですね。
これに近世の領主が、菅原道真公を合祀したようです。
このため、本殿への参道では、京都の北野天満宮のような黒い石の御神牛がこちらを見ています。
暑い夏に、厚い布団をかぶっていて、ちょっと心配になります。
本殿です。
唐破風の上に、鳳凰らしき鳥が2羽。
破風の軒には、飛び狛犬もいます。
駅に戻る前に、「ベルおおとし」と京阪の線路をはさんで向かい合う、もう一つのアーケード商店街ものぞいてみました。
「ねやがわいちばんがい」です。
この商店街も、交野街道に沿ってあります。
眼鏡屋さんが経営する焼肉センターってどんなの?
メガネのデザインが、みょうに楽しい。
書店もあれば、
古書店もあります。
紙の書店が減少している今の時代ですが、この小さな商店街では書店も古書店も健闘しているようです。
この商店街単体でみるとアーケードは短いですが、駅前にこのような商店街が複数連なっているのが嬉しいですね。
今回も、新しい発見のある楽しい街歩きができ、良い一日となりました。