のら印BLOG

野良猫のように街を探索し、楽しさを発見するブログ

かつてのメインストリートに建ち並ぶ近代建築群・京都三条通②

前回から、京都で近代建築が数多く見られる三条通へ来ています。

寺町三条をスタートし、烏丸三条周辺を目指して西へ進んでいるところです。

高倉三条の北西角に、煉瓦造の重厚な旧日本銀行京都支店がありました。

現在は、京都文化博物館の別館として公開されています。

赤い煉瓦に、白い石の横線。

設計は、おなじみの巨匠・辰野金吾ですね。

実質的には、弟子の長野宇平治が設計を担当したようです。

竣工は、1906(明治39)年。

壮麗な、正面のデザイン。

屋根から突きでた、銅板を用いたドーマー窓。

壁面の意匠。

重厚な木の柱と天井。

屋根上のドーマー窓からの採光が、美しい。

隅々まで細やかに手が加えられています。

日本銀行らしい威厳に満ちた建築でした。

先行する日本銀行の本店や大阪支店が白い石の外壁であるのに対して、京都支店が赤煉瓦であるのには、たぶん理由があるのでしょうね。

 

さらに少し西へ進むと、また通りの北側に、煉瓦造の立派な建築があらわれます。

旧京都郵便電信局。

今も、現役の中京郵便局として使われています。

先ほどの旧日本銀行京都支店と同様に、赤煉瓦に白い石を配し、屋根には銅製のドーマー窓。

どことなく似た雰囲気を醸しだしています。

竣工は、1902(明治35)年。

日本銀行京都支店の4年前になります。

設計は、逓信省営繕課の吉井茂則と三橋四郎。

三橋は、旧日本銀行京都支店の実質的な設計をした長野宇平治の、帝国大学工科大学造家学科のたった5人の同級生の一人です。

何となく、二つの建築が似ている背景が、分かるような気がしますね。

建物内には、昔の写真が展示されています。

このネオルネッサンス様式の建築は、1978(昭和53)年に改築されており、そのさいに外壁や屋根だけを残して内部は新築されています。

現在ではたくさん見られるようになった「ファサード保存」。

旧京都郵便電信局は、その日本で最初のケースだったようです。

 

旧京都郵便電信局をすぎると、すぐに烏丸三条の交差点に出ます。

ここに、京都市道路元標がありました。

1920(大正9)年に、東海道の終点である三条大橋ではなく、こちらに設置されています。

 

三条烏丸交差点の少し北には、旧京都中央電話局がありました。

現在は、複合商業施設の新風館として活用されています。

北側から見た、正面のデザイン。

外壁全体をおおうスクラッチレンガと、3階のアーチ窓が特徴です。

竣工は1926(大正15)年。

設計は、東京中央郵便局や大阪中央郵便局も手がけた、「逓信省の建築家」吉田鉄郎。

アーチ型のエントランスと、その上部の張り出しが個性的。

余分な装飾は徹底して用いず、実用的でいて独自の個性はしっかりと表現されているようです。

細かい筋が施されたスクラッチレンガは、さらにデザイン化されて積まれています。

エントランスを内側から見ました。

いくつものアーチを組み合わせた、面白いデザインでした。

 

烏丸三条交差点の南西には、旧第一勧業銀行京都支店があります。

逆光が強くてうまく撮影できず、街路樹も伸びて見えにくいので、以前に撮った写真で見てみます。

また、赤煉瓦に白い石の横線、青銅のドーマー窓。

設計は辰野葛西建築事務所。

ほんとうにこの界隈には、辰野金吾の建築が多いですね。

竣工は1906(明治39)年。
1999(平成11)年に一度解体されましたが、2003(平成15)年にレプリカ再建されています。

信用を売りにする銀行らしく、しっかりとした意匠が施されていました。

 

烏丸三条の交差点を過ぎると、壁面が茶色いタイルで覆われたレトロビルがあります。

腰折れ屋根に銅製のドーマー窓が印象的な建築です。

旧西村貿易店社屋。

現在は、文椿ビルヂングとして活用されています。

設計者は不明ですが、1920(大正9)年の竣工。

戦後まもなくは、GHQ文化施設として使われたそうです。

外観からは意外ですが、木造です。

エントランスの両側には、八角形の石の付柱による装飾。

両替町通から見た側面。

内部です。
波打つように張られた床板が美しい。

 

2回にわたって、京都市三条通に建ち並ぶ建築群を見てきました。

かつては東海道の延長にあり、京都のメインストリートであった三条通

今でも明治・大正・昭和初期の洋風建築が、数多く残っています。

すばらしい建築が建ち並んでいるから、道幅が拡張されることもなく、メインストリートの座を譲り渡したのかも知れません。

でも、結果として歴史的な建築や風情が保存されたのですから、良かったのではないでしょうか。