こんにちは、のら印です。
京都に現存するヴォーリズ建築を、エリア別、年代順に整理しています。
今回は、その2回目。
上京区・北区のエリアを取り上げます。
【京都バプテスト教会】
上京区の河原町通丸太町上るにある、日本バプテスト同盟の京都バプテスト教会です。
1912(大正元)年の竣工です。
あまり知られてはいないと思いますが、京都の現存するヴォーリズ建築としては、一番古いのではないでしょうか。
ただ外観からは、その古さが良くわかりません。
それもそのはず、外観は当時の姿を残してはいないようです。
こちらが、古い写真です。
この写真は、キリスト新聞社の『The Kirisuto Shimbun KiriShin』2012年6月16日付け記事からお借りしたものです。
なんと主屋の左側に、八角形で3階建ての塔屋があったようです。
主屋の外観もまた、現在とは異なるようです。
記事では、「献堂当時の八角形の塔屋は台風で破損したため撤去され」とあります。その後も改修がくり返されたようですが、「礼拝堂内部はほぼ献堂当時の状態」とのことです。
また、ヴォーリズによる教会建築は1909年竣工の福島教会が最も古かったようですが、「東日本大震災の被害により昨年(注:2011年)取り壊されたため、京都バプテスト教会礼拝堂が最古のものとなった」そうです。
京都だけではなく日本で一番古い、現存するヴォーリズの教会建築はこちら。
礼拝堂の内部です。
窓枠は、取り換えられているようですが、当時の面影が残されているようです。
中央の照明は、ステンドグラスを背景にして、シンプルですが美しい。
今後も、大切に残していただきたいものです。
【同志社大学啓明館西館(書庫棟)】
上京区の今出川通烏丸東入にある、同志社大学の啓明館西館です。
南隣の啓明館本館と北隣のアーモスト館にはさまれて、見落としそうになる建物ですが、同志社大学にあるヴォーリズ建築としては一番古いものです。
1915(大正4)年に、本館に先んじて建てられています。
翌1916(大正5)年には致遠館も竣工していますが、先年の全面改修により、昔の姿はとどめていません。
【同志社大学啓明館本館(図書館)】
書庫棟のすぐ南側にある啓明館の本館です。
1920(大正9)年に建てられた、同志社の2代目図書館。
鉄筋コンクリート造の5階建てですが、同志社の他の建築と同様に、全面に煉瓦が用いられています。
棟屋の上部には、石の白い線が横に数本。
アーチ窓も並んでいます。
エントランス上部はアーチ型に装飾され、それを2本の石柱が支えています。
東側の部分では、大きなアーチ窓全体が、白い帯に斜めに埋め込まれた煉瓦によって、かわいらしく縁どられています。
【旧シャイヴェリー邸】
1920(大正9)年に建てられています。
シャイヴェリーは、同志社の神学校教授も務めた宣教師でした。
建物は同志社大学のすぐ近くにあり、現在はバザールカフェとして使用されています。
ヴォーリズ建築ではおなじみの、煙突が見えます。
ガーデンテラス側から見たところ。
内部は改装されてはいますが、木の温もりはしっかりと残されています。
【同志社大学アーモスト館】
同志社大学啓明館の北隣にあります。
1932(昭和7)年に竣工した、鉄筋コンクリート2階建。
学生寮とし使われてきましたが、現在は、主に外国人研究者の宿泊施設として利用されているようです。
屋根は、途中から角度を変えた腰折れ屋根。
その屋根から突き出した、5つのドーマー窓がとても印象的です。
左右対称の建物で、屋根の両サイドに2本ずつ、計4本の煉瓦積みの煙突が見えます。
外装の赤煉瓦と、角に張り付けられた白い石や白い窓との対比が、とても美しい。
外構や植樹の緑も合わせて、良くまとまった建築ではないでしょうか。
北側から見ると、アーモスト館、啓明館西館(書庫棟)、啓明館本館(図書館)と、ヴォーリズ建築が3つ並んでいて、なかなか見事な光景です。
【京都復活教会】
北区の堀川北大路交差点近くにある、日本聖公会京都復活教会です。
1936(昭和11)年竣工の鉄筋コンクリート造。
外観は、ヴォーリズとしては珍しく、正統派っぽいゴシック様式が取り入れられているようです。
2階建ての四角い塔屋が、北大路通沿いにあって良く目立っています。
バットレス(控壁)も見えます。
上京区の室町通出水にある、京都YWCAの別館・サマリア館です。
1936(昭和11)年竣工の木造2階建。
当初は、低価格で泊まれる宿泊施設として建てられたようです。
現在では、1階で京都YWCAのコミュニティカフェ「うららかふぇ」を運営しておられます。
内部には、ヴォーリズらしい工夫された壁面収納。
過ごしやすい空間が意識されています。
簡素ですが、温かみのある照明。
外側も、内側も、当初の姿が良く残されていました。
【同志社大学新島遺品庫】
同志社大学の啓明館のすぐ南東にある新島遺品庫です。
1942(昭和17)年に建てられた、大学の創設者・新島襄の遺品収蔵庫。
実は、この時期のヴォーリズは、ほとんど建築ができていません。
日米開戦前夜であった2年前に、宗教法人法が改正されて統制と監視が強まり、ほとんどの外国人宣教師は帰国しています。
そのような中で、ヴォーリズは日本に帰化する選択をし、妻の一柳姓から「一柳米来留(ひとつやなぎ・めれる)」を名乗っています。
「米国から来て留まる」という日本名に、彼の苦悩が刻まれているようですね。
そのような時期の建築だからでしょうか、建物が小さいこともありますが、ヴォーリズの自由でのびやかな感性は外観からは窺えないようです。
【日本福音ルーテル賀茂川教会】
北区の烏丸通今宮の角にある、日本福音ルーテル賀茂川教会です。
1954(昭和2)年、戦後9年目の年に竣工しています。
ヴォーリズは、この3年後にクモ膜下出血で倒れ、1964(昭和39)年に83歳で永眠しているので、最晩年の仕事の一つなのかも知れません。
3階建ての塔屋をそなえ、外観はクリーム色の壁と橙色の瓦屋根で、明るくまとめられています。
アーチ窓に煙突。
エントランス。
主屋正面上部のバラ窓が印象的でした。
ということで、今回は上京区・北区のヴォーリズ建築を見ました。
次回は、左京区を見ていきたいと思います。