こんにちは、のら印です。
西成区には、よく「ディープ」と表現される商店街がたくさんありますが、それは昔の懐かしい時間がとまっているかのように、人の情感とともに残されているということかもしれません。
このあたりは、西成区の中でも南寄りの地域になります。
松虫通を西に歩きます。
途中、南海高野線の支線、通称「汐見橋線」の低い高架をくぐります。
頭のすぐ上を通る列車を、真下から見上げることができるのは、少し珍しいことかもしれません。
まもなく、「にしてん」と書かれた、西天下茶屋商店街のアーケード南口に到着。
入ってすぐ右手の建物です。
2階部分のタイルや配管の様子から、長い時間の経過が感じられます。
磯のりと昆布の専門店だったようですが、シャッターが降りています。
右のほうには、奥に通じる細い路地も。
その北隣には、何とも絵になるお店がありました。
おやつコーナー東浦さんです。
なんとも、そのたたずまいが美しい。
真ん中におでん鍋。
隣では、お父さんが黙々とお好み焼きを焼いています。
ごはんだけも販売しているのは、高齢者も多く需要があるということでしょう。
さっそくですが、大きく貼りだされたメニュー表を見ながら注文し、入店。
左奥の暖簾をくぐると、ちょうど3人入れる広さのカウンターがあります。
まず、おでんです。
だいこん、すじ肉、そして鯨の油抜きをした皮の部分であるコロを注文。
おでんは、基本100円~140円ですが、肉がたっぷりあるすじ肉は160円。
珍しいコロは230円でした。
高価でおいしいコロがこの価格とは、他の店で見つけることは難しいのではないでしょうか。
味は関西風の薄味ですが、すじ肉とコロを煮込んで、おいしくないはずがありません。
次は、お好み焼き。
イカは冷凍のロールイカではなく、スルメイカがたくさん入っていて、しっかり焼かれています。
甘辛いソースも、たっぷりと塗られています。
お父さんの仕事のていねいさが、よくわかります。
食事ができるコーナーは、こんな感じ。
明るいお母さんがたくさん話を聞かせてくれて、時々表からお父さんが話に入ってくるといった感じでした。
お店は始められてから50年とのことでしたが、何年も前から「50年」と言われているのかも。
気になった「おやつコーナー」のネーミングについては、当時他の地域におやつスペースという店があったので、うちは「おやつコーナー」にしようと決めたようです。
以前は、1日に7~8000人が前を通るにぎやかな通りだったけど、今はさみしくなったものだと笑っておられました。
でも、今でも持ち帰りの客がたえず立ち寄る、人気のお店。
今度から、土曜も休みにして週休3日にされるようでしたが、長く続けてほしいお店でした。
商店街を北に進むと、この日は閉まっているパン屋さんがありました。
2階の窓手すりが、時代を感じさせてくれますね。
ここを左に入ると、近年までビッグ岸里という市場のようなスーパーマーケットがあったようですが、すでにその姿はありませんでした。
万代百貨店の跡もあります。
今や、近畿一円にスーパーを展開している万代ですが、初期には万代百貨店として、この商店街にも店を出していたようです。
商店街は、まっすぐではありません。
少しうねりながら続くところに、味わいがあります。
途中で、三叉路に出ます。
向かって左の道が、歩いてきた中央通商店街。
右の道が、南本通商店会。
2つの商店街が合流して、ここから北は西天商店会として続きます。
いったん、南本通商店会に入ります。
角に、おいしそうなコロッケなどを並べた藤田天ぷらがあります。
その奥には、たこやきダウンタウン。
看板テントの横文字が、英語ではなくローマ字なのも昭和っぽいのかもしれません。
今や、何のお店だったのか分かりませんが、洋風の丸窓のお店もありました。
入口は狭いですが、雰囲気のあるたたずまいの手打ちうどんやさん。
ここで、南本通商店会は終わりです。
西天商店会に戻り、北へ進みます。
さすが、粉もんの町大阪。
お好み焼き屋さんは、あちこちにあります。
たくさん傷のついた木の柱が、時代を感じさせてくれます。
リサイクルショップ。
マンホールは、新しいデザインに更新されているようです。
そして、銀座商店街に直角に突きあたる角には、茶色いタイルでおおわれた、これぞ昭和というお店が。
喫茶マル屋です。
残念ながら、この日は休業の札がかかり、ショウウィンドウには覆いがかかっていました。
ただ入口横には、年季が入って黄色くなった手書きの価格表が、いくつもセロテープで貼られています。
オレー(カフェオレのことか?)170円。
ココア170円。
オムライス250円。
サンドイッチ250円。
肉うどん250円等々。
ものすごい、安すぎるお店です。
この価格設定をみると、昭和の頃から値上げをしていないのかもしれません。
これで店が潰れることなく維持できていることに、驚きを感じます。
社会の変動にまったく動じず、良い意味で時がとまっている空間なのでしょう。
また、それを守ってきたこの町の奥深さがあるのかもしれませんね。
このマル屋さんからは、東西にのびる銀座商店街です。
江戸時代の大坂において、銀貨を鋳造する銀座がおかれたのは東高麗橋で、西天下茶屋ではありません。
この商店街の「銀座」の名称は、戦後の復興期に東京の華やかな銀座にあやかったものなのでしょう。
向かいには、キムチ屋さん。
西へ行くと、たばこ・おもちゃの森商店。
世間であまり見かけなくなった煙草屋さんで、これまた少なくなった玩具の小売りをされています。
アンパンマングッズが並べられ、店先には「テレカあります」との紙が貼られた公衆電話。
この町らしいお店です。
「大阪名物いか焼き&沖縄の味サータ・アンダーギの店」あき山さんもありました。
定着しているサーターアンダギーの呼び名ではなく、サータ・アンダーギなのが面白かったのですが、こちらではいか焼きを買いました。
卵がたっぷり入っています。
こちらは、「いりたてのコーヒー」のフォーミラーです。
ホットケーキセットを並べた、まあるいショーケースが懐かしさを醸しだしています。
ちなみに店名は、F1レースのF(フォーミュラー)ではなく、4つの鏡のフォーミラーですのでご注意を。
銀座商店街のアーケードを東に出ても、まだお店は続いています。
コロッケ&フライドフーズの光食品。
持ち帰りのお客さんが並んでいます。
このお店は、横からみると2本の道にはさまれた狭い敷地に建てられています。
表側は、柳通の曲がりを修正するかのように戦後造られた、銀座商店街のまっすぐな道です。
2つの時代の区画整理でできた隙間が、うまく活用されているようです。
沖縄物産店も兼ねているようで、スパムやサーターアンダギーも並べられていました。
「リトル沖縄」として知られているのはお隣の大正区ですが、西成区にも沖縄出身の方は多いのかもしれません。
店頭の鉄板で焼いてもらったホルモンをいただきました。
柔らかくておいしく、満足しました。
踏切からは、すぐ向こうに西天下茶屋駅の短いホームが見えます。
列車は2両編成ですから、ホームもこの長さで十分なようです。
線路に生えている雑草が、本数の少なさを物語っています。
ちなみに本数は、ほぼ1時間に2本です。
大阪の街中とは思えない、のどかな光景でした。
今日も、大阪の下町の奥深さに触れることができ、楽しい一日となりました。
時間の流れを感じさせてくれる街歩きは、本当に楽しいものです。
まだまだたくさん歩いてみたいと思います。
追記
帰りに、南海のなんば駅に立ち寄り、前から見ておきたかった南海ビルディングを見てきました。
1932(昭和7)年竣工で、久野節の設計です。
高島屋百貨店が入る駅ビルとして建てられています。
内部は改装されていますが、外壁等には当時の姿が残されていました。
正面にはコリント式壁付円柱とアーチが並んでいます。
入口上部や壁面角には、見事なテラコッタによる装飾が。
屋上部分には、時計と望楼がありました。
落ち着いているけれど、ゴージャスな建築のようでした。