のら印BLOG

野良猫のように街を探索し、楽しさを発見するブログ

北九州周辺のら歩き・下関唐戸

こんにちは、のら印です。

フェリーで新門司港に到着後、最北端の門司港にやってきました。

まずは、関門海峡をへだててすぐ向こうに見える、対岸の下関唐戸に出かけてみます。

 

対岸へは、地下トンネルを歩くという方法もありますが、ここは駅から3分ほどのところにあるマリンゲートもじの発券所で400円の切符を購入し、門司港桟橋へ。

20分おきに出ている「がんりう」に乗船。

船は定員120名で、対岸まで約5分。

2階は、展望デッキになっており、風を感じながらコンパクトな船旅を楽しむことができます。

 

唐戸桟橋到着後、まずは定番の大きな「ふく」が出迎える唐戸市場を訪問。

寿司バトル「活きいき馬関街」が開催される週末ということもあり、朝からたくさんの観光客でにぎわっていました。

唐戸市場を出て、国道9号線を渡った北側を歩いていくと、近くに唐戸商店街のゲートを発見。

アーケードのない部分も多い商店街です。

唐戸市場とはうってかわって、観光客の姿はあまりみられません。

朝のためか、地元の方もパラパラという感じ。

なかには、レトロを意識してか、1970年代初頭に人気を博した名車「いすゞベレット」など懐かしいものを並べている面白い場所もありましたが、残念ながら全体としてシャッターが降りている店舗が多い。

道路一本はさんだ唐戸市場との対比が、なんとも・・・

 

と思っていると、見事な赤煉瓦づくりの建築を発見。

ちょっと素晴らしい風情ではないですか。

正面にまわると、旧下関英国領事館とのこと。

『一外交官の見た明治維新』でも知られるアーネスト・サトウ駐日英国公使の具申により開設されたもので、今の建物は1906(明治39)年に建てられたものです。

設計者は、英国政府工務局上海事務所の建築技師長であったウィリアム・コーワンで、クイーン・アン様式なのだそうです。

こちらは正面玄関。上部の紋章の下には、BRITISH・CONSULATEと刻まれています。

1階の領事室は、落ち着いたたたずまい。

写真では見えにくいですが、きれいな緑色のタイルで装飾された奥の暖炉の重厚さが印象的です。

階段も、華美ではなく、味わい深い。

 

さて、旧領事館を出ると、県道をはさんだ向こう側にも魅力的な建築があるではないですか。

こちらは旧秋田商会ビル。

秋田商会は、日清・日露戦争頃に大きく成長し、旧満州・朝鮮・台湾などにも支社を構えた下関の総合商社です。

このビルは、社主・秋田寅之介が1915(大正4)年に下関港に面して建てた、社屋兼住居とのことです。

設計者は、文部省技手の経歴をもつ西澤忠三郎であることが、コロナによる休業中に棟札が発見されたことで明らかになったそうです。

屋上から木の枝が張り出しているのが見えますが、これは屋上庭園・棲霞園。

現存する屋上庭園としては世界最古級のものとのこと。

ちなみに、正面の塔屋最上部は、灯台としての役割もはたしていたらしい。

西日本では最初の鉄骨鉄筋コンクリート造の事務所建築でもあるそうで、建築史のうえでも重要なもののようですね。

1階は、純洋風の事務所になっていますが、

2階、3階は書院造の住居。

和洋折衷の面白い建物です。

階段の親柱のデザインもユニーク。

上部にある社章は、一文字三星で長府毛利藩の家紋と同じものを使用していたことがわかります。

当時まだ珍しかった水洗トイレも残っています。

壁面のかわいらしい花の絵のタイルは、当時最先端の国産マジョリカタイルなのかも知れません。

 

ということで、旧秋田商会ビルは、なんともユニークで斬新な建築でした。

 

そして、その西隣にあるのがこの建築物。

端正なたたずまいの下関南部町郵便局。

なんと、この日も営業中の、現存する最古の郵便局庁舎だそうです。

1900(明治33)年の移転以来、ここで営業を続けているようです。

三橋四郎が設計した、ルネサンス様式の庁舎建築とのこと。

ちなみに三橋は、京都の中京郵便局の設計者でもあります。

 

入口横には、懐かしの丸ポストが置かれています。

これも現役で稼働中。

しかも、この全国に広まった丸ポストの考案者が、この郵便局で用具の制作・改良に取り組んでいた俵谷高七であったということに驚き。

さらに俵谷は、切手とハガキの自動販売機も発明しており、日本で最初に自動販売機を発明した人物であったことに、またまた驚き。

 

この郵便局は、ルネサンス様式らしく左右対称のコの字型をしており、裏側中央の凹部には中庭があって、お洒落なテラス席となっていました。

カフェ兼ギャラリースペースも併設されていて、壁面は当時の赤煉瓦がむきだしになっています。

モルタル仕上げをしているが煉瓦造の建築であることが、よくわかります。

(仕事の合間に案内していただいた局長さん、ありがとうございました。)

 

ということで、予備知識なく歩いたわりに、結構楽しめた下関唐戸でした。

また、下関が日本の近代化の最前線だったことが、感じられたようにも思います。

さあ、次は小倉へ行きたいと思います。