のら印BLOG

野良猫のように街を探索し、楽しさを発見するブログ

酒蔵と練羊羹の街で看板を巡る・伏見区大手筋商店街界隈

今回は、味わいのある看板を求めて、京都市伏見区の大手筋商店街へ来ました。

大手筋は、かつて豊臣秀吉が築いた伏見城の大手門から続いていた道です。

伏見城からの坂道を西へ下ってくると、京阪電車の踏切越しに見えてくるのは、大手筋商店街のアーケード。

商店街に入る前に、ちょっと周辺を見ておきます。

少し手前にある近鉄京都線の高架下には、こも被りをたくさん並べた伏見らしい居酒屋。

京阪本線と並行する京町通りには、古い和菓子店もあります。

木製看板には、「総本家 駿河屋 練羊羹」。

元をたどれば、1461(寛正2)年に「鶴屋」として創業した、練羊羹の元祖のお店です。

その後、紀州徳川家に随伴して本店が和歌山に移動したり、一時中断したこともあったようですが、単純に計算すると560年を越える老舗ということになります。

暖簾には、鶴屋時代からの鶴に壽の家紋。

ショウウィンドウにある、「太閤秀吉への献上羊羹」。

秀吉の大茶会での引き出物に使われた、「紅羊羹」を再現したもののようです。

当時、諸大名から絶賛された羊羹ですが、まだ寒天ではなく葛や小麦粉を用いた、室町期以来の蒸羊羹。

こちらが、5代目岡本善右衛門が考案し、江戸初期に完成した、寒天を用いた練羊羹。

大手筋の少し北にある伏見中学校の前には、「寒天發祥之地 伏見區御駕籠町」の碑があります。

江戸期になって伏見で練羊羹が作られ始めたことと、寒天生産が進められたことは、深い関係がありそうですね。

総本家駿河屋のお向かいには、1764(明和元)年創業の老舗京料理店「魚三楼」。

鳥羽伏見の戦いでは、店の前で新選組などの旧幕府軍と、目と鼻の先の御香宮に陣をしいた薩摩軍とが激突しています。

店の前には、今も当時の弾痕が残ります。

 

大手筋商店街のアーケードに入ります。

左手に、ほうじ茶の香りが漂う「松田桃香園」。

こちらも1630(寛永7)年創業と、歴史があるようです。

歩いていると見落としそうになる高い場所に、古そうな袖看板もあります。

「茶」の下は何と読むのだろう。

素人には、「無茶苦茶 可食不可飲」と読めてしまうのが、おかしいですね。

アーケードには、「日本酒のまち京都伏見」の垂れ幕も下がります。

こちらは、伏見のすべての蔵元のお酒を試飲できる酒店・「油長」。

店内には、日本酒バーがあります。

アーケードの西端。

一本南の油掛通にも、古そうな和菓子屋さん。

木製看板には、「練羊羹 駿河屋本店」とあります。

やはり、伏見発祥の寒天を用いた、練羊羹を販売しているようです。

最初に見た「総本家駿河屋」とは、どういう関係なのでしょう。

縦型の木製看板には、「五色 練羊羹所」の文字。

看板上部には、「大日本伏見京橋駿河屋製」とあり、「〇に寿」のまわりに鶴らしき鳥の絵の旗がたくさん描かれています。

ショウウィンドウの練羊羹。

店内には、1895(明治28)年に京都岡崎で開かれた、第4回内国勧業博覧会での褒賞證が掛かります。

店のお母さんに話を伺うと、こちらは1781(天明元)年に総本家から分かれた分家とのこと。

数ある駿河屋の中でも、ずっと続いている店としては、うちが一番古いと教えてくれました。

ちなみに、堺にあった分家は、あの与謝野晶子の実家だったらしい。

お店の脇には、「我国に於ける電気鉄道事業発祥の地」の石碑。

第4回内国勧業博覧会が開催されたのと同じ年に、京都駅近くから伏見港畔のこの地を結ぶ、日本初の電気鉄道が開通したようです。

 

今度は、商店街のアーケード西端から納屋町通を少し北へ。

また、古い袖看板に出会います。

「諸毒下し 大もんぢや 大毒丸」。

大文字屋の毒下しを取り扱っていた、生薬屋さんの看板のようです。

こちらは裏面。

左端に、「本家 酒多」の文字が見えます。

このお店は、今も「サカタ薬局」として続いています。

ご主人の話では、袖看板は先々代の祖父の時代からあり、明治のものですとのことでした。

大手筋の北側に並行する通りには、雰囲気のある藤岡酒造の入口。

杉玉と木製看板の間には、きれいな丸いステンドグラスが配されています。

もともと「万長」というお酒を造っていた蔵でしたが、休止していたのを、今の5代目が、「蒼空」という純米酒ブランドで復活させられたようです。

大手筋と交差する新町通には、古い煉瓦塀の日本基督教団伏見教会。

いかにも手彫りという看板に、彫った人の熱意が感じられます。

両替町2丁目にある、かるたの「大石天狗堂本店」。

1800(寛政12)年創業の老舗です。

上油掛町にある、「伏見神聖酒蔵 鳥せい本店」。

酒蔵を利用した店内で、京都では珍しい、さまざまな部位の焼鳥や鶏料理が楽しめるお店。

こちらは、南浜町にある「月桂冠大倉記念館」。

1909(明治42)年に建てられた酒蔵を改装した、酒造りの博物館です。

最後は、大手筋商店街から見ると西南にあたる、静かな三栖向納所線沿いの一角。

道路から少し下がったところに、旧家があります。

石段を7段ほど下がったところが玄関。

切手・はがきを取り扱う看板は出ていますが、営業中の気配は感じられません。

そこにぽつんと残された、一枚の木製看板。

何の看板だろう。

全体に白っぽくなっていますが、表彰状のように周囲が二匹の龍で飾られています。

中央部には、「農商務省許可 商標(〇に天) 大日本最上薄口 醤油」。

右側に、「播州龍𡌛 醸造元 延賀喜三兵衛」。

左側には、「特約店 中西商店」。

ああ、この旧家は、かつて丸天醬油を扱う中西商店だったのですね。

 

酒処として知られる伏見の町ですが、歩いてみると練羊羹発祥の地でもありました。

また、あちらこちらに、さまざまな表情をした看板も残ります。

今は京都市の一部ですが、元は独立した別の都市。

洛中とは、また一味違った風情を感じる街歩きとなりました。

 

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