交差する花屋町通を西に入ると、
すぐに左手に細い路地。
この奥では、元新選組隊士で箱館戦争をも生き延びた島田魁が、維新後に西本願寺の夜間警備をしながら暮らしていたらしい。
路地の横には、連棟式の木造建築。
ここは少し寂しくなった島原商店街ですが、これらの建物も、良く見ると一軒一軒が店舗だったようです。
さらにその隣に残るのは、珍しい木造三階建の京町屋。
ここも店舗だったのでしょうか。
今も頑張っておられる、「太夫最中」が名物の、御菓子司・伊藤軒老舗もありました。
まもなくすると、島原の大門に出会います。
京都ではもちろん、日本でも最古といわれる、幕府公許の花街であった島原。
当初は、矩形のエリア周りを土塀や堀で囲んでいましたが、老若男女が自由に出入りできる開放的な街だったようです。
天保年間には、土塀や堀もなくなりました。
大門横には防火用水が用意され、軒丸瓦には火除けの願いを込めて、水が渦巻くデザインの三つ巴紋が用いられています。
提灯には、少し異なる「嶌原」の文字。
でも、大門近くの町名表示によると、ここは「西新屋敷」。
こちらが正式な地名です。
1641(寛永18)年に六条三筋町から移される際の騒ぎが、「あたかも島原の乱の如し」と言われたことから、通称として「島原」と呼ばれるようになったらしい。
大門近くの坊城通には、現在も置屋兼お茶屋として営業を続けている「輪違屋」。
風情のある軒行灯には、赤い輪違紋。
1688(元禄元)年の創業で、現在の建物は1857(安政4)年のもの。
日本で「太夫」と呼ばれる最高位の芸妓を、今でも抱えるお店はここだけです。
入口に掲げられた「観覧謝絶」の木札は、「いちげんさんおことわり」と読んだほうが良いのでしょうか。
エリアの北東角には、300年以上島原の盛衰を眺めてきた大銀杏。
すぐ南には、島原の鎮守である島原住吉神社。
江戸時代の例祭時には、太夫・芸妓等による「練りもの」と呼ばれるイベントが、盛大に行われていたようです。
鳥居の西側には、「島原西門碑」。
それまで大門だけで出入していた島原ですが、享保年間には西門が設けられました。
しかし、昭和以降の2度の交通事故によって倒壊し、今はその姿を見ることはできません。
西門跡から、島原の西端にある旧千本通を南へ歩くと、蔵のある大きな屋敷の裏が見えます。
表に回ると、そこにあるのは現存する唯一の揚屋建築遺構である、「角屋(すみや)」。
揚屋とは、置屋から太夫や芸妓を呼んで饗宴を行う、今の高級料亭にあたる施設です。
国の重要文化財に指定されている建物は、1641(寛永18)年以来のもの。
現在は、「角屋もてなしの文化美術館」として活用されています。
閉じられている、かつて客が出入した門口。
建物の表には、美しく連なる繊細な格子。
釘隠しなのでしょうか、格子の一本一本に、花型の金具が取り付けられています。
中に入って目につくのが、50畳分ある大きな台所。
自店で料理を作り客をもてなすのが、揚屋の特徴です。
大座敷に面した広庭の奥には、流派を異にする茶室が2つも設けられていました。
茶席を設けてもてなす、細やかな心配りですね。
各部屋では、たくさんの有名絵師による襖絵が見られます。
撮影が禁止されている2階には、円山派の祖である円山応挙や、俳人で文人画家であった与謝蕪村の襖絵も。
島原は、蕪村の盟友である炭太祇(たんたいぎ)が住み着き、島原俳壇ができるほどに俳諧が盛んな街でした。
角屋の6・7代目当主などは、蕪村の弟子にまでなったそうです。
1階には、客から部屋ごとに大刀を預かる、刀箪笥もありました。
でも、新選組だけは、見廻り中であるとして決して預けなかったようです。
この結果、角屋には新選組による刀傷が残ります。
2階の美しい青貝の間にある床柱には、3つも深い傷がありました。
角屋側も、新選組の乱暴には手を焼いていたことでしょう。
角屋は、西郷隆盛の用いた盥が残るように、久坂玄瑞や坂本龍馬などの志士たちも利用していたとのこと。
店内で衝突が起こらないよう、たえず気配りが必要だったのでは。
角屋を北東の角から見たところ。
近くには、平安京に設けられていた、外交使節を迎えるための東鴻臚館の跡もありました。
この場所は、都のメインストリートであった朱雀大路沿いにあたるということですね。
周辺には、揚屋よりは規模の小さなお茶屋であったと思われる家屋が、いくつも残ります。
こちらも、そうでしょうか。
角屋がある一角には、「揚屋町」の町名が残ります。
東隣りは「太夫町」という粋な名前なのですが、町名表示を見つけることはできませんでした。
そんな一角に、元は揚屋として建てられ、大正初期に旅館として改築された「きんせ旅館」があります。
現在は、夕方からのみカフェ&バーとして営業されているため、しばし待機。
夕刻となり入店すると、いきなり美しいステンドグラスとタイル、そして凛々しい鹿たちが出迎えてくれました。
足元に敷き詰められた色とりどりのタイルは、大正から昭和にかけて京都東九条にあった、池田泰山の製陶所で焼かれた泰山タイル。
美しく乱張りされています。
格式の高い折り上げ格天井がある、ホールに入ります。
至るところに、色鮮やかなステンドグラス。
まずは、珈琲とレーズンバターサンドを注文。
こんなに美しい工芸品を楽しませてくれるのに、ごく一般的な価格。
さらに、どちらも美味しいとは素晴らしい。
ホール裏の廊下にも、泰山タイルの乱張りは続きます。
細かい細工と、窯変の面白さ。
洗面所にも。
壁にも、床にも。
もう、心が満腹です。
島原は、花街としてはそれほど大きな街ではありません。
また、かつての姿がそのまま残っているわけでもありません。
それでも、歌舞音曲の芸に加え、文芸活動も盛んに行われた開放的な花街の雰囲気は、今に伝えられていました。
大正期に改装されたレトロモダンな建築もまた、とても味わい深いものでした。