ちょっと古い話ですが、応仁の乱により衰退した京都の町は、政治都市・上京と、商工業都市・下京の二つの町に分かれてしまったことがあります。
その時代に、上京と下京を繋いだ唯一の道が、室町通でした。
門前には、古そうな法衣店や、
400年以上続く念珠店などが並びます。
そんな東本願寺の北端を通る花屋町通から、室町通を北に向かって歩き出します。
応仁の乱後には京都のメインストリートだった室町通も、今見ると、このような細い通りです。
先ほどの写真の左手にある、「トユ 中村」の立体看板が、ちょっと面白い。
古い通りには、仁丹の琺瑯看板が良く似合います。
右上の住所表示が「下京區室町通楊梅下ル大黒町」。
左下のものは、「下京區楊梅通室町東入大黒町」。
同じ場所を指しているのだけれど、表記が統一されていない京都あるある。
そろそろ、呉服問屋さんが並び始めます。
京都で「室町」と言えば、江戸期から発展してきた呉服問屋街の代名詞。
あいにく、この日は室町通沿いで火災が発生。
仏光寺通から綾小路通間は、規制線が張られて通れませんでした。
良く見ると、消防車が停まっている四条・綾小路間だけは、道幅が広くなっています。
これは、大戦中に空襲による延焼を防ぐため、強制的に建物疎開が行われた名残り。
千利休に影響を与えた茶道の先覚者、武野紹鴎の茶亭があった場所です。
説明板の石組には、紹鴎が愛した菊水の井の井桁組み石が使われていて、「菊水」の文字が残ります。
祇園祭の菊水鉾は、この井戸にちなんで名づけられたそうです。
錦小路通を越えると、1869(明治2)年に町衆の力で番組小学校として開校した、元明倫小学校。
現在は、京都芸術センターとして活用されています。
特徴的な八角形の門柱の後方には、円窓が並ぶ塔屋。
二宮金次郎の石像と、1931(昭和6)年に改築された校舎。
アーチ状の扉や、オレンジ色のスペイン風瓦がとてもモダン。
エントランス上部にも、テラコッタの意匠が残ります。
側壁にはステンドグラス、床にはタイルで八芒星が描かれていました。
すぐ北側には、「山伏山町家」。
祇園祭に登場する山伏山の保存会です。
かつて祇園会とよばれた京都を代表するこの祭りは、応仁の乱後に町衆の力で再興されました。
商工業都市・下京では、今も住民の力によって祭りが支えられています。
蛸薬師通を越えると、今度は「鯉山」の保存会。
祭りが近づくと、これら保存会の前に山鉾が建てられます。
こちらは、1738(元文3)年に創業した、帯を扱う「誉田屋源兵衛」。
昔の室町通の雰囲気を、今によく伝えてくれるお店ですね。
修験道の開祖に因むこの山の巡行では、山伏たちも随行するそうです。
あっ、帯屋さんの前を着物の女性が歩いています。
こちらの木製看板は斬新。
不定形の木製看板の右上から、これまた不思議な形の天然木が突き出ています。
なんと風流な看板と思ったら、あの姉小路にある干菓子型で縁取られた素晴らしい木製看板のお店、「亀末廣」から分かれたお店なんですね。
古そうな町家にあるのは、横に長い緑色テントの「COFFEEユニオン」。
テント下の隅には、煉瓦の壁と、銭湯にあるような黄金色した獅子の口。
これは、楽しげなお店じゃないですか。
広く落ち着いた店内で、「香り高い珈琲」をいただきました。
レトロな店内の照明は、船の舵を利用したものでした。
二条通を越えます。
江戸期には、この通りで上京と下京が分けられていました。
その角にある「三井越後屋京本店記念庭園」。
三井越後屋と言えば、今の日本では当たり前の「現銀(金)掛け値なし」商法を始めた、呉服店の代表格ですね。
この日は、剪定のため、門の前には植木屋さんの車が停まっていました。
車との隙間から写した門には、「丸に井桁三」の家紋。
瓦にも、やっぱり丸に井桁三。
その北にある、呉服問屋の「誉勘商店」。
初代当主となる勘兵衛が、誉田屋本家から暖簾分けされたのは、1751(宝暦元)年とのこと。
古い呉服店が続きます。
椹木町通を過ぎた右側には、「此附近 斯波氏武衛陣 足利義輝邸 遺址」の石碑。
室町幕府の三管領筆頭であった斯波氏邸宅や、その後13代将軍足利義輝の将軍御所が置かれたところです。
また、下立売通と交差する角には、旧二条城跡の石碑。
この二条城は、今ある二条城とは違い、織田信長が自ら担ぎあげた15代将軍足利義昭の居所として、急ごしらえで作らせたもの。
発掘調査のさいには、石の地蔵も石垣に転用されていたことが明らかになっています。
これらの石碑は、平安女学院の敷地内にあるもの。
同じ敷地内には、1898(明治31)年竣工で古い煉瓦造の、聖アグネス教会もありました。
古い煉瓦といえば、こちらは出水通を越えたとことにある京都YWCAの煉瓦塀。
このあたりは近衛町ですから、江戸初期に日本で初めて「本屋」を名乗った本屋新七の書店があったあたりでしょうか。
一度訪れたかった「澤井醤油本店」がありました。
虫籠窓のある京町家の屋根に、細い煙突が立っています。
1879(明治12)年創業の店頭には、風情を感じさせる木製看板。
引き戸を開けると、圧倒される店内。
商品を陳列しているすぐ後ろに、いきなり大きく細長い仕込み桶が並びます。
間口の狭い京町家のため、大桶は縦に長い特製の仕様。
漂う深いもろみの香りに、心も満たされます。
奥に見える、煉瓦積みの煙突。
屋根の上の細い煙突に、繋がっているのでしょう。
石を敷き詰めた床面。
表には、「味自慢 マルサワ もろみ」の琺瑯看板もありました。
もう一度、室町通に戻ります。
一条通の角には、「(〇丹)本田味噌本店」。
暖簾にもある「丹」の文字は、丹波杜氏であった初代・丹波屋茂助の名前から来ています。
創業は、1830(天保元)年。
「西京味噌」という名前は、白みその代名詞のように使われていますが、実はこちらの銘柄。
すぐ近くにある御所の用命を受け、宮中の料理用味噌として作られたものです。
店内には、「禁裏御所 御臺所御用控」や、御所出入の許可証なども残されていました。
もう少し進むと、今出川通と交差する角に理髪店。
その丸い柱の陰に、ひっそりと「従是東北 足利将軍室町第址」の石碑。
この碑の北東部分に、足利将軍邸である「花の御所」がありました。
言うまでもなく、ここから室町幕府の呼び名がついています。
しかし、その名残りは、今はほぼありません。
室町通りは、昔ながらの呉服問屋や町衆による活躍の跡が残る下京と、室町幕府の遺址が残る上京を繋ぐ、細い通りでした。
今は静かな通りですが、京都の歴史の断面を垣間見ることができる、味わい深い通りでもありました。